38歳・水野晃樹「ベンチ外になった時に、すっげぇ悔しくて...」 だからこそJ3でプレーする今も「まだまだ戦えると思った」
ベテランプレーヤーの矜持
~彼らが「現役」にこだわるワケ
第5回:水野晃樹(いわてグルージャ盛岡)/後編
チームのために「選手としてできることは全部、やりきりたい」と語る水野晃樹 photo by MATSUO.K/AFLO SPORTこの記事に関連する写真を見る 難しいチャレンジになることは覚悟のうえで海を渡った水野晃樹だったが、予想を超えて、セルティック(スコットランド)での2年半は難しい時間を過ごした。シーズン途中の加入もあって最初の半年間をリザーブリーグでプレーした彼は、満を辞して2008-2009シーズンに臨んだものの、開幕前に右膝の半月板損傷で出遅れてしまう。復帰後、2008年12月には初先発したリーグ戦で初ゴールを決めるなど流れを掴んだかに見えたが、その後、監督交代によって再びメンバー外になり、公式戦から遠ざかった。
「武器にしてきたスピードやドリブル、キックはある程度通用したという手応えもあった一方で、フィジカルコンタクトでは全然、歯が立ちませんでした。ただ、そこで道を間違えたのは、課題を克服するために体を大きくして対抗しようとしたこと。61キロだった体重を、66〜67キロくらいまで増やしたら、逆に体のバランスが取れなくなって、本来のキレ味を失い、ストロングポイントが目立たなくなってしまった。
今になって思えば、見た目の大きさではなく、武器をよりスムーズに表現する方法を探ったほうが自分らしく勝負できたんじゃないかと思っています」
そうした状況を受け、水野は2010年夏に帰国を決意する。ジェフユナイテッド千葉を離れる時から「国内に復帰する時はジェフに」という思いが強かったものの、その時点で千葉のA契約選手枠が埋まっていたこともあり、古巣復帰は断念。当時J2の柏レイソルへの加入を決める。
周りからは海外移籍が失敗だったんじゃないか、チャレンジしないほうがよかっただろう、という声も聞こえてきたが、彼自身は「チャレンジした結果である以上、失敗とは思っていない」と言いきった。
「海外で活躍することはできなかったけど、自分に何ができて、何ができないかは明確になったし、それを肌身で感じられたのは、間違いなく財産だったと思っています。チャレンジしない人生のほうがつまらないと思っていたので、チャレンジしたことに後悔もない。
ただ、明らかに監督の構想外になってしまった以上、そこで粘るより、自分を取り戻すほうが先決だと考えました。このままだと選手として終わってしまうという危機感もあったので、一旦日本に帰って活躍し、また(海外に)行けばいいという思いもありました。
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