セレッソ清武弘嗣「このまま続けていくのは厳しいかな」引退も考えた昨季から復活なるか「緩めてしまったら、自分のサッカー人生は終わり」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

「いや、リハビリをしながら徐々に上げていくなかで、痛みが出たら、落とすということを繰り返していたんですね。それである一定のところまで上げられるようにはなったんですけど、完全には上げられなかった。

 でも、ケガをしてから5カ月くらい経ったし、もう治っていてもおかしくないなと。もどかしい時間を過ごすなかで、待っているだけでもダメだなと思って試合に出たんですが、ちょっと無理したところはあったと思います」

── 再びケガをしてしまった時は、どういった心境でしたか。

「天皇杯では普通にやれたんですよ。でも、その2日後の練習でスプリントした瞬間に、バチっていって。うわ、やっぱ無理だったかと。あの時は相当、ヘコみましたよ。でも、もう一度やったら手術という話はしていたので、そこはもう割りきりましたね」

── 2度目のケガの時は「引退」の二文字が頭をよぎったそうですが。

「さすがにあの時は考えました。年齢も34歳だし、オペをしたら確実に半年はかかる。最初のケガの時から考えると、実質1年はプレーできないことになるわけで、このまま続けていくのは厳しいかなと。それに、メスを入れたら自分の足の状態がどこまで戻るかわからない、という不安もありましたからね」

── 結果的に「引退」の決断に至らなかったのは、何があったからですか?

「家族とも話したし、父親とも話しました。実際に引退して何をするかっていうところまで考えましたね。 でも一番は、もう1回プレーしたいっていう気持ちが強かったから。

 息子たちが僕のプレーする姿を楽しみにしているなかで、このまま復帰せずに辞めてしまうのはどうなんだろうって。子どもたちにもう1回、サッカーをしている姿を見てもらいたいという想いが一番大きかったです」

── リハビリ中はその想いが支えになっていたわけですね。

「そうですね。もちろん、たくさんのサポーターの方たちの励ましの声もありましたし、チームメイトが僕のユニフォームを着て入場してくれたこともすごくうれしかった。本当にたくさんの方の支えがあったからこそ、踏ん張ることができたと思います」

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