「なんだ、この世界は?」非エリートだった田中順也が振り返る自らのターニングポイント J2優勝→即J1優勝で「ガラッと変わった」 (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

 J1を制した柏は同年、日本で開催されたFIFAクラブワールドカップにも出場し、ネイマールを擁するサントス(ブラジル)と対戦。田中のステップアップは、さらに速度を上げていた。

「2011年に(J1で)13点取って、2012年はちょっとフッと(気が抜けたように)なっちゃったんですけど、また2013年に奮起して11ゴール10アシストで、初めて(ゴールとアシストを)ふた桁、ふた桁に乗せることができた。(ふた桁のアシストは)ほぼほぼ工藤(壮人)が取ってくれたので、彼のおかげなんですけど、点を取れてアシストもできるのが僕のなかでの究極だったので、J1でそれを達成できたのは僕の財産です」

 翌2014年に入っても、田中の成長は続く。

 この年のシーズンは途中、ブラジルでワールドカップが開催されたため、その間、J1はリーグ戦を中断しているのだが、田中は中断前までに早くも5ゴールを決めていた。

「めちゃくちゃ調子がよかったので、また(最終的に)ふた桁はいけそうだなと思っていました」

 そんな田中に突然のオファーが届いたのは、同年6月。J1の中断期間に、柏が韓国でキャンプを行なっている最中のことだった。

「最初に(オファーが)舞い込んできた時は、ポルトか、スポルティングか、みたいな話でした。その後、(スポルティングに絞られて)1週間くらいで決断しなきゃいけなくなって、(柏に)残ったほうがいいのかなっていう気持ちもあったんですけど......」

 だが、最後の決め手はシンプルだった。

「それはもう、『世界のタナカになる!』と言ってたんで(苦笑)」

 夢だった海外移籍が、それもポルトガルを代表する名門クラブへの加入が、瞬く間に決まった瞬間だった。

(文中敬称略/つづく)◆田中順也のポルトガル時代「お荷物みたいに扱われ」→悩んだ末に「夢を諦めた」>>

田中順也(たなか・じゅんや)
1987年7月15日生まれ。東京都出身。順天堂大4年時に特別指定選手として柏レイソルでプレー。翌2010年、柏入り。同年のJ2優勝、翌年のJ1優勝に貢献した。2011年には日本代表にも選出され、2012年2月のアイスランド戦で代表デビューを飾る(国際Aマッチ出場4試合)。2014年夏、ポルトガルのスポルティングCPに移籍。2016年、期限付き移籍で古巣の柏に復帰し、2017年にヴィッセル神戸に完全移籍。2022年からはJ3のFC岐阜でプレー。2023年シーズンを最後に現役引退。2024年、FC岐阜のクラブアンバサダーに就任し、同クラブのアカデミーコーチとしても活動する。

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