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村井満×ジーコ対談 「異端のチェアマン」が「神様」と親友になったキッカケ (2ページ目)

  • 宇都宮徹壱●司会・文 host & text by Utsunomiya Tetsuichi

村井 そうです。それで私は「日本は1月と2月は雪が降るからだけど、ブラジルだって日本と同じシーズンじゃないですか」と逆に質問したんですよ。そうしたらジーコさんは「1月と2月のブラジルは暑くてサッカーなんかできないんだよ」って。お互い大笑いしたことがありました(笑)。まだACLがヨーロッパのシーズンに移行する前の話です。

── 初めてジーコさんに会った時のことは覚えていますか?

村井 私がチェアマンになってから、Jリーグアウォーズのような式典でご挨拶させていただいたのが最初だったと思います。ただし「非公式」ということでいうと、私がリクルートに勤めていた時でしたね。

ちょうどジーコさんが『ジーコのリーダー論』という本を出版されて、その記念講演会がリクルートのホールで開催されたんです。その後、ジーコさんとリクルートの取締役の会食会があったんですが、役員でもない私はそこに紛れ込んで、一緒に写真に写っているんです(笑)。

ジーコ あの本が出たのは1993年でしたね。

村井 そうです。講演会が行なわれたのが、アメリカでワールドカップが開催された1994年。実はこの年、オフサイドのルールが変わったんですよ。それについてジーコさんが「プレーに関与しなかったらオフサイドとはならない」って、箸置きを使いながら解説していたことを覚えています。

ジーコ おそらくブラジルvs.オランダの試合で、ブランコのFKが決まったシーンを再現しようとしたんだと思います。キックの瞬間、ロマーリオが走り込んで、うまく身体を反らしてゴールが決まったシーンでしたね。

── 1994年のワールドカップということは、ジーコさんが鹿島アントラーズを引退された直後ということになりますね。たしかこの年のファーストステージ、6月15日のジュビロ磐田戦がJリーグのラストマッチだったと思いますが。

ジーコ Jリーグの最後の公式戦はその試合だったと思いますが、日本でのラストマッチはその年のオールスター(7月23日)。この試合でフル出場してから、ブラジルに帰国しました。

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