NMB48堀詩音「J1のスタジアム制覇ができないと確定した時は落ち込みました」Jリーグ観戦の魅力や北海道コンサドーレ札幌への愛も語った (2ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • 立松尚積●撮影 photo by Tatematsu Naozumi

【チアチーム『コンサドールズ』で8年間活動】

――コンサドールズでの日々はどうでした?

 何もかもが楽しかったですね! その頃からアイドルになりたいという思いはあったんですけど、それよりもコンサドールズのトップの方たちが「すごいな! かっこいいな!」と思って憧れていました。「私も勝利の女神って言われる人になりたい!」と思ってずっとチアダンスをやっていました。

――楽しいなかでも大変なこともありましたか?

 コンサドールズはJリーグクラブ最初のチアダンスチームなので、「私たちが一番だ!」っていうプライドをみなさんが持ちながら毎年オーディションをやっていたり、毎試合セレクションがあるんですね。選手たちのようにスタメン争いをしている感じで、その競争はすごく大変でしたね。

――試合の時にみんながパフォーマンスできるわけではないんですね。

 そうなんです。ジュニアの頃はみんな出られたんですけど、中学生のユースになると、「今日の試合はこの人が出て、この人は出られません」という発表がありました。でもそうやって常に競い合ってきたのは、今のアイドル活動をする上ですごくいい経験だったと思います。だから中学生の頃にすごくメンタルを鍛えられましたね(笑)。

――それはすごい経験ですね。選ばれるためにどんな努力をされたのですか?

 今よりも体重管理とかはすごく厳しかったんです。毎週、体重、筋肉量、体脂肪率とかを測って、それこそサッカー選手のようにコンディションを維持、管理しなくちゃいけなかったんですよ(笑)。育ち盛り、食べ盛りの中学生だったので本当に大変で。でも、それも今思えばいい経験だったなと思いますね。

――コンサドールズとして8年間活動されていましたけど、今のようにサポーターとして応援するようになったきっかけはあったんですか?

 当時、私が反抗期だったからか、父とお出かけするのが苦手だったんですよ。もうなに話せばいいかわからないみたいな(笑)。父は全国各地に遠征するタイプのサポーターなんですね。そうしたなかNMB48に入ってからのある時、「お父さん、ここの試合見に行くんだけど来る?」と言ってくれたんです。私もちょうど握手会で東京にいるタイミングで、「じゃあ握手会終わりに行こうよ」と誘ってくれたのがきっかけでした。

――コンサドーレが反抗期の娘と父親をつなげてくれたんですね。

 NMB48に入る前の札幌に住んでいた頃だったら、誘われても絶対行ってなかったと思います(笑)。でもNMB48で私も少し大人になって「え、いいじゃん。行こう、行こう!」みたいな感じで。今では全国のいろんなスタジアムに行って、ご当地のご飯を楽しみながら旅行感覚で一緒に応援しています。

――YouTubeの撮影もお父様とされているそうですね。

 そうなんです。いつも大ゲンカしています(笑)。父は撮影が苦手で、なかなか上手に撮れなくて、結構ボツになることが多くて。だからよくケンカして、父のお友だちのサポーターの方々に笑われ、励まされながら撮影しています(笑)。

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