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Jリーグ2005年の「新人王」カレン・ロバートの今 オランダ移籍後から暗転→「浪人生活」を繰り返した波乱万丈のサッカー人生 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 カレンがプロ入りした2004年当時は、日本代表でも海外組がまだ少数派だった時代である。カレンもまた、「将来はイギリスでやりたいと、ぼんやり夢には描いていた」ものの、「難しいのかなって思ってました」。

 おぼろげだった夢に、突如として現実味が帯びたのは2006年のことだった。

 新人王に選ばれた翌年、当時イングランド2部(チャンピオンシップ)のプリマスから獲得オファーが届いたのである。

 結果的にこの移籍交渉はまとまることなく終わるのだが、その後、カレンが2010年シーズンの終了を待たず、同年7月に磐田を離れることになったのは、海外移籍をにらみ、ヨーロッパのシーズンに合わせた夏までの契約を結んでいたからだ。

「プリマスから夏にオファーをいただいたけど、(磐田との)契約がまだ残っていて、移籍金(違約金)がかかるということで話がまとまらなかった。だったら、移籍金がかからないようにと、次の(磐田との契約)更新の時に夏までの契約にしたんです」

 しかし、いざ磐田との契約満了のタイミングを迎えてみると、「ケガで試合に全然出ていなくて、逆に路頭に迷っちゃった(苦笑)」とカレン。どうにか見つけた移籍先はJ2のロアッソ熊本だったのだが、「そのおかげで(同時期に熊本に所属していた)藤田俊哉さんからの紹介でオランダに行けた。それは奇跡的なことだったなと思います」。

 こうして、さすらいの旅は幕を開けた。

 カレンは以後、オランダ(VVVフェンロ)、タイ(スパンブリーFC)、韓国(ソウルイーランドFC)、インド(ノースイースト・ユナイテッドFC)、イングランド(レザーヘッドFC)と、2019年3月の現役引退まで、海外5カ国を渡り歩くことになるのである。

 なかでも、カレンが「一番充実していた」と振り返るのは、オランダで過ごした2年半だ。

「常に(強豪クラブの)スカウトが試合を見にきているから、ワンチャン(移籍の可能性が)あるかもしれない。自分にちゃんと値札がついていることを実感できて、毎週刺激的な試合をしていたので楽しかったですね」

 日本では味わえなかった体験が、カレンの気持ちを高ぶらせた。

「アヤックスとか、PSVとの試合で活躍した選手がオファーを受けて、シーズン途中でいなくなっちゃうこともありましたから」

 オランダへ渡っておよそ半年後、カレンは1部残留をかけたプレーオフでの活躍が認められ、「(イングランドの)ストーク・シティと、QPR(クイーンズ・パーク・レンジャーズ)から身分照会がきて、『おっ、もしかしたら』みたいなこともあったんです」。

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