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西川周作が正GKの座を失った昨季の葛藤。「自分の特長やよさをうまく出せていなかったのではないか」 (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by AFLO

GKはゲームメーカーだ

 そして、インタビューも終わりに近づいた時、まるで始まりと終わりをつなぐように、西川はこう言ったのである。

「ナバスとまた戦いたいですよね。彼はコスタリカ代表だから、W杯の舞台で戦えますもんね」

 インタビュー中も"日本代表"という単語を発していたが、彼は本気だ。

「まだ時間は残されています。ジョアンにも『また日本代表に選ばれるようになりたい』と伝えていますし、そこを目指してやっています。残すは9月。そのためにはリーグ戦でいい結果を残し続けることが最大のアピールになると思っています」

 酸いも甘いも経験した。逆境を乗り越え、常に隣り合わせの危機感と戦い、新境地を切り開くことで成長もしている。GKというポジションの奥深さを再び楽しめているのだろう。西川はGKの魅力をこう言葉にする。

「GKは試合を決められるポジションだと思っています。点を決める選手と一緒で、そのシュートを防ぐか決められるかで試合の結果は変わってくる。あとは、GKのパスの選択次第ではチームが点を決める機会も多いに変わってくる」

「だから」と言って西川は言葉を続けた。

「昔から思っていたことですけど、GKってゲームメーカーだなって思っています。GKが素早くプレーをすれば試合のテンポも上がりますし、GKが時間を使えば試合のテンポは落ち着く。GK次第で試合の流れは変えられるし、作ることもできる」

 守備では最後の砦としてゴールを防ぐ。攻撃では司令塔としてゴールへ導く。

「浦和レッズでやり残していることがあるんです。ルヴァンカップも天皇杯もACL(AFCチャンピオンズリーグ)も獲ることができましたけど、リーグタイトルだけがないんですよね。浦和レッズの選手としてピッチに立っている状況でシャーレを掲げたいですね」

 36歳になった西川は目下、成長中である。笑顔を浮かべた目の奥は、情熱と野心にあふれ、ギラギラしていた。


【profile】
西川周作(にしかわ・しゅうさく)
1986年6月18日生まれ、大分県宇佐市出身。2005年に大分トリニータU−18からトップチームに昇格し、高卒1年目から正GKとなる。クラブの財政危機により2010年にサンフレッチェ広島へ完全移籍。2012年、2013年とJ1リーグ優勝に貢献する。2014年から浦和レッズの一員となり、2022年7月10日の名古屋グランパス戦でJ1最多となる通算170試合の無失点記録を達成。日本代表として31試合出場。ポジション=GK。身長183cm、体重81kg。

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