中村憲剛と佐藤寿人が日本代表のキャプテンを語る。「吉田麻也の背中を見て、受け継いでいってほしい」
中村憲剛×佐藤寿人
第10回「日本サッカー向上委員会」@後編
1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」、第10回はチームを牽引する立場を長く経験した両者に「リーダー論」「キャプテン論」を語ってもらった。
◆第10回@前編はこちら>>「"あの人"の影響でクルマの中にペンと色紙を置くようになった」
◆第10回@中編はこちら>>「自分に甘いキャプテンの話なんて、誰も耳を傾けない」
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代表引退した2018年まで長くキャプテンを務めた長谷部誠この記事に関連する写真を見る---- 日本代表に目を向けると、なぜ長谷部誠選手(フランクフルト)はあれだけ長く(2010年〜2018年)キャプテンを務めることができたのでしょうか。
中村 ハセは2010年のワールドカップ本大会の直前に(中澤)佑二さんからキャプテンを引き継いだんですけど、キャプテンマークを巻き出してから変わった印象がありますね。
佐藤 責任感が生まれたんでしょうね。
中村 あの時はチームが厳しい状態だったなかで、当初は難しかったと思います。ただ、あの時のハセは何かを変えたというよりも、とにかく自分のできることを一生懸命やることで、チームを引っ張っていたのかなと。
マネジメントも含めて、やりだしたのはザッケローニさんになってからだと思います。僕はザックさんになってからしばらく代表を離れていたんですけど、久しぶりに入った時に「ハセはだいぶ変わったな」と感じましたから。
---- 長谷部選手はどのあたりにリーダーとしての素養があると感じますか。
中村 まず、キャプテンである自分が監督のやりたいサッカーを理解して、体現しようとするところですかね。それは浦和からヴォルフスブルクに行ったことが大きかったのかなと思います。海外で生き残るために意識して取り組んだことが、代表でも生かされたのかなと。監督が代わっても、それぞれの監督の求めることを体現することで、信頼を掴んでいったのかなと思いますね。
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