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旗手怜央が川崎フロンターレで見せた濃い成長の記録。サポーターの前で見せたどの涙にも理由があった (3ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by Getty Images

【チームが手を差し伸べてくれた】

 東京五輪でスペイン代表に敗れ、3位決定戦で再戦したメキシコ代表にも差を見せつけられていただけに、はやる気持ちもあったのだろう。

「僕自身、東京五輪から帰ってきて、勝たなければ自分は評価されないと思っていた。負けた試合でどれだけいいプレーをしても、それではいい選手の領域を抜け出すことはできないって。勝ち続けるチームで試合に出続けてこそ、自分は評価される。そう思っていた矢先の引き分けだったので......」

 広島戦を終えて流した涙の意味を、旗手はこう表現した。

「ぶっちゃけると、あの時は『もう終わったな』と思っていました。チームに貢献したいのに、貢献できない。チームを勝たせたいのに勝たせられない。東京五輪を終えて、初めて経験するような疲労感も感じていて、身体も頭も切り替えられなくて......気持ちは前に、前にと思っているのに、身体と頭がついてこないというか。どうしたらいいんだろう......俺......もう、わからないや......みたいな状況になっていました」

 チームで戦っているにもかかわらず、"ひとり"ですべての責任を背負っているかのような表情を浮かべていた彼に手を差し伸べてくれたのは、ほかでもない"チーム"だった。

 小林悠からこう言われた。

「お前が泣いていたら、周りにチームがうまくいっていないと思われて、相手もいけるぞって気持ちになるかもしれない。だから、そういう姿を見せずに顔を上げろ」

 鬼木達監督も声を掛けてくれた。

「試合に負けたら、それは監督の責任だ。お前が責任を背負う必要はない」

 キャプテンを経験したことのある大先輩と、チームを率いる指揮官の言葉に、「背負っていた重荷が軽くなりました」と旗手は話してくれた。

 おそらく、身体も悲鳴を挙げていたのだろう。そのタイミングで負傷し、戦線を離脱したのが自分を見つめ直す時間にもなった。試合から遠ざかっていた期間に、引き分けた2試合と敗れたアビスパ福岡戦(J1第26節)の映像を見返した。

「本当は嫌だったけど、自分のいい時と悪い時の違いが知りたくて、2、3回見直しました。そうしたら自分がプレーしている感覚と、実際に映像で見た自分のプレーが全く違っていたんです。もっと動けていると思っていたのに、全く動けていなかった。もっと見えていると思っていたのに、全く周りが見えていなかったんです」

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