旗手怜央がセルティック移籍を決意したきっかけ。東京五輪で「ボールを止めてもつぶされるし、ボールを蹴っても止められる」
旗手玲央インタビュー 後編
(「2021年に見せた涙の理由」前編はこちら>>)
川崎フロンターレでのプレーを終え、セルティックへの移籍を決めた旗手怜央がヨーロッパへの挑戦を思い抱いたのはいつからだったのか。2021シーズンを終えた直後の旗手に、セルティック移籍に至るまでの過程と2年間を過ごした川崎フロンターレでの成長と感謝について聞いた。
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川崎フロンターレで多くのものを吸収した旗手怜央が、セルティックへ移籍するこの記事に関連する写真を見る
【東京五輪で感じた世界との差】
旗手怜央が海外でのプレーを意識しはじめたのは、2021シーズンが開幕した頃だったという。
「その時は具体的にというよりも、漠然とチャレンジできるならば海外でプレーしてみたいなと考えていました。それは日本代表に選ばれるためにとかではなく、純粋に自分がどこまで成長できるかを知りたいと思ったんです」
川崎フロンターレでプロ2年目を迎え、出場機会を増やしていた背景もある。順天堂大学を卒業して触れたそのサッカーは、刺激と成長の連続だった。だからこそ、旗手のなかに欲が芽生えたのだろう。
「海外に行けば、また違ったサッカーをやることになりますよね。サッカーに正解がないように、いろいろなサッカーを知ってみたいという思いを抱くようになりました。海外に行けば、言語も違うので、生活するだけでも大変だと思うんです。そのなかでサッカーにも生活にも順応しつつ、楽しめるか。荒波にもまれることで、人として成長できるのではないかと、シーズンが始まった頃に何となく考えはじめました」
その後、旗手は狭き門をくぐり抜け、7月には東京五輪を戦う日本代表に選ばれた。グループステージでは初戦の南アフリカ戦に途中出場。第3戦のフランス戦、準々決勝のニュージーランド戦では先発するなど、大会のなかで成長していった。そして準決勝のスペイン、3位決定戦のメキシコに敗れたことで、世界への思いは一気に加速した。
「時間が経った今、当時の思いを明かすならば、ベスト4で敗退した結果は、ないなと思っています。それは優勝しなければいけないくらいのタレントの集まりだったと思っているからです。だから、4位という結果に終わったことには今も不甲斐なさを感じています。個人的には、徐々に出場機会を与えられ、試合に出られた経験はすごく大きかったのと同時に、やはり世界との差を感じさせられました。それは個人としても、グループとしても、です」
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