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旗手怜央がセルティック移籍を決意したきっかけ。東京五輪で「ボールを止めてもつぶされるし、ボールを蹴っても止められる」 (3ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

【等々力への心残り】

 天皇杯準決勝で敗れた翌12月13日、チームの解散式が行なわれた時には、鬼木監督から声を掛けられた。

「レオには感謝しかないよ」

 そのひと言で十分だった。

「そう言ってもらえて、オニさんの下でプレーできたよかったなと心の底から思いました。プロではほかの監督の下でプレーしたことがないのでわからないですけど、オニさんだったから、僕の性格やプレースタイルを理解して、うまく使いこなしてもらったというか、可能性を広げてもらったと思っています。そんな方から『感謝しかない』と言ってもらえたことは自分のなかで大きかったですね」

 ファン、サポーターへの感謝も尽きない。

「フロンターレへの加入が決まった2018年に、ホームゲームで挨拶したんです。コロナ禍の前だったので、ファン、サポーターが『レオ! レオ!』って大きな声で連呼してくれて。それまで声援を送ってもらったことがなかったので、この人たちすごいなって思うとともに、温かさを感じたんです。コロナ禍では、声が出せないなかでも応援してくれて、家族の行事のなかのひとつにフロンターレがあるんじゃないかってくらい愛されていた。ファンを見ればそのチームがわかるという言葉を聞いたことがありますけど、まさにそれを体感した2年間でした」

 彼にとって、敗れた天皇杯準決勝が川崎での最後の試合になったように、心残りがないわけではない。

「チームに加入する前から、DAZNでスタジアムの光景を見ていました。等々力劇場と言われる劇的な試合展開は、ファン、サポーターが作り出していたところが大きいと思うんですよね。その雰囲気を経験できなかったことは、間違いなく心残りです」

 未来へと進もうとする人に向かって、さらなる未来について聞くのは野暮だと思ったが、どうしても聞きたくなり、「いつかは?」――と尋ねた。

「先のことは考えずに前に進む性格なので、うっすらとした今の思いを言葉にすれば、憲剛さんや悠さんといった長くこのクラブに貢献してきた先輩たちを見て、クラブ愛というものを強く感じました。でも、それ以外にもクラブに恩返しする方法はあるのではないかと思っています。一度、外に出て戻ってくることで、還元できるものもあるはず。それも自分を育ててくれたクラブに貢献できるひとつの形だと思うので、外に出て活躍して、いつか恩返しできればと今は思っています」

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