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日本サッカー界のキャリアプランが一変する!? 三笘薫、林大地、大学組の海外移籍は「事件」だ (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by Panoramic/AFLO

 かつての海外移籍と言えば、Jリーグや日本代表で実績を残し、それが認められて実現するのが通例だった。

 だが、近年は日本で実績を作る前に移籍するケースも少なくない。要するに青田買いである。

 海外クラブとしても、今後ブレイクしそうな若い選手を(多くの場合、格安で)手に入れ、高く売ることができるなら、実績などなくとも獲得する価値はある。

 実際、若い日本人選手の移籍先は、ベルギー、オランダ、ドイツといった国の中でも、優勝を狙うようなクラブではなかったり、2部リーグのクラブだったり、というケースがほとんど。彼らの獲得動機は、自分のクラブで長く活躍してもらうことではないのである。

 一般論として、海外移籍のリミットは24歳が目安と言われるが、純粋な戦力としての価値以上にその後の売却の成否が重視されるとなれば、獲得年齢が下がるのは当然のことだろう。

 裏を返すと、年齢が上がれば上がるほど、海外移籍は難しくなるということでもある。そんな年齢の壁を、おそらく最も痛切に感じてきたのは、大学組の選手だったのではないだろうか。

 卒業を待たずにJクラブ入りした例外を除けば、一般的な大学組は22歳で大学を卒業し、23歳になる年にJクラブ入り。とすると、2年目にして、早くも24歳になってしまう。

 つまり、大学組が海外移籍を実現しようと思えば、プロ1年目からJ1で際立った活躍をし、日本代表にも選ばれる、というくらいのハイペースで階段を駆け上がる必要があった。プロという新たな環境への適応を考えると、いかに能力の高い選手であっても、これは簡単なことではない。

 もちろん、24歳を超えての海外移籍が不可能なわけではない。実際、移籍した大学組もいる。しかし海外へ渡ったあとに、よりレベルの高いクラブへの移籍を重ねたいと考えるなら、かなりの不利があることは確かだ。

 海外移籍、さらにはその先のキャリアアップのためには、やはり大学経由でのJクラブ入りは遠回りだと言わざるを得なかった。

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