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森保ジャパンのコーチが唸ったオシムのマネジメント「すごく選手思い」 (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 2002年にチームを率いたジョゼフ・ベングロシュが1年で退任すると、2003年にはオシムが指揮官に就任する。まず驚かされたのは、練習量の多さだった。

「オシムさんは韓国キャンプの途中から来たんですけど、練習量は『本当にこれ、やるのかな』というレベルで。選手を走らせて鍛えるぶんには問題ないんですけど、オフが全然なかった。そうなると、選手は疲労を溜め、メンタル面が落ちてきて、ケガの発生しやすいシチュエーションになる。キャンプから数カ月、休みがなかったですからね」

 鬼教官のようなオシムと、徹底的にしごかれる選手たち。その板挟みになったのが、松本だった。

「選手から不満が出るので、私が『休みはないんですか?』と聞きに行ったら、『そんなのあるわけないだろ』と。若造が何を言っているんだ、という感じで丸め込まれて。私では埒が明かないので、阿部(勇樹)ちゃんと茶野(隆行)が言いに行ったのかな。でも、『24時間、サッカーに集中しろ』という感じで、彼らも丸め込まれて」

 試合翌日の練習では、試合に出場した選手たちはゆっくりジョギングをしてリカバリーを行なうのが通常だ。しかし、松本は指揮官から「スピードアップしたり、スピードを落としたりしながら10分間走らせるように」と指示されたことがあった。

「選手たちは『いや、嘘でしょ?』っていう感じですよね。ブーブー文句を言いながらも、監督が見ているからしっかりこなすんですけど、疲れが抜けないまま次の日を迎え、次の日も300m6本とか走らされて」

 疲労を抱えて迎える水曜日には練習試合が組まれ、そこでも選手たちは走り回った。

「さすがに試合前日の金曜日には走りのメニューはないんですけど、複雑なルールで紅白戦をやる。Aチームの前線の選手は黄色、中盤は赤、ディフェンスは緑のビブス。Bチームも同じように3色のビブスを着て、全部で6色のビブスを使うから、何がなんだかわからなくなる。こうして頭を疲れさせて、試合に突入するということが1年目の2003年にはよくありました」

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