森保ジャパンのコーチが唸ったオシムのマネジメント「すごく選手思い」
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松本良一
今から18年前、ジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に、大柄なボスニア人指揮官が着任した。彼の名は、イビチャ・オシム――。1990年イタリアW杯でユーゴスラビア代表をベスト8へと導いた知将だった。
鋭いプレッシングと、後方から選手が次々と飛び出していくアタッキングサッカーで旋風を巻き起こした"オシム・ジェフ"は、瞬く間に強豪チームへと変貌を遂げる。のちに日本代表監督も務めた指揮官は、ジェフの何を変えたのか。その教えは、ともに戦った男たちの人生にどんな影響を与えたのか。「日本人らしいサッカー」を掲げた名将の薫陶を受けた"オシムチルドレン"やスタッフたちに、2022年カタールW杯前年のいま、あらためて話を聞いた。
第7回に登場するのは、当時のジェフでフィジカルコーチを務めた松本良一。現在は日本代表のフィジカルコーチである松本が「知らなければ指導者として終わっていた」とまで言う、オシムから学んだ指導者の感性とは。
ナビスコカップ決勝前に、選手に指示を出すジェフ監督時代のオシム氏 photo by Kyodo News***
最寄り駅から徒歩30分ほどかかり、ピッチとスタンドの距離も遠く、客席の造りも貧弱......。ジェフユナイテッド市原(現千葉)がかつてホームとして使用していた市原臨海競技場は、"Jリーグ最低のホームスタジアム"と酷評されることも多かった。
だが、開放感があり、アットホームで、牧歌的なこのスタジアムを、イビチャ・オシムはこよなく愛していた。
「クラブ関係者も、選手も、もしかしたらファン・サポーターも、アウェーゲームで相手のすばらしいスタジアムを訪れたとき、『ここと比べて市原臨海は......』って感じていたかもしれませんが、オシムさんは違った。『俺たちの愛するホームスタジアムだ』と言っていましたから」
そう振り返るのは、フィジカルコーチとしてオシムを支えた松本良一である。
「親会社のJR東日本の関係だと思うんですけど、ジェフは当時、秋田や松本、時には国立競技場でホームゲームを開催することがあったんです。でも、オシムさんは『それはおかしい』と、当時の社長に疑問をぶつけていました。『なぜ、ホームスタジアムで試合をしないのか』って」
愛していたからこそ、ホームスタジアムで勝利することにこだわった。足を運んでくれた地元のファン・サポーターを喜ばせるためだ。
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