現役のオシムチルドレン、水本裕貴。35歳の今も忘れない名将の声
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水本裕貴
今から18年前、ジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に、大柄なボスニア人指揮官が着任した。彼の名は、イビチャ・オシム――。1990年イタリアW杯でユーゴスラビア代表をベスト8へと導いた知将だった。
鋭いプレッシングと、後方から選手が次々と飛び出していくアタッキングサッカーで旋風を巻き起こした"オシム・ジェフ"は、瞬く間に強豪チームへと変貌を遂げる。のちに日本代表監督も務めた指揮官は、ジェフの何を変えたのか。その教えは、ともに戦った男たちの人生にどんな影響を与えたのか。「日本人らしいサッカー」を掲げた名将の薫陶を受けた"オシムチルドレン"やスタッフたちに、2022年カタールW杯前年のいま、あらためて話を聞いた。
第6回に登場するのは、ジェフのルーキー時代からオシムに起用され、日本代表でもプレーした水本裕貴。35歳にして現役を続ける原動力になった、名将のもとでサッカーを学んだ日々を振り返った。
2006年、オシム監督(左奥)が指揮する日本代表に初招集された水本(中央) photo by Kyodo News***
ジェフユナイテッド市原(現千葉)の坂本將貴が必死の形相でピッチを駆け回り、ベンチの望月重良が試合内容に興奮しながら出場機会を伺っていた2003年7月20日のジュビロ磐田戦――。
1stステージの覇権の行方を左右し、のちに名勝負と呼ばれるこの大一番を、手に汗握って観戦していた高校3年生がいた。
当時、三重高校に通っていた水本裕貴である。
全国区の選手というわけではなかったものの、U-18日本代表にも選出されていた将来有望なセンターバックは、いくつかのJクラブの練習に参加していた。そのうちのひとつであるジェフユナイテッド市原(現千葉)の試合が三重から近い磐田で行なわれたため、観戦に訪れたのだった。
「ジュビロは前年のチャンピオンでしたし、三重に住んでいたので、ジュビロの強さはよくわかっていました。そんな相手と互角に戦っていて凄いなと。それに、忘れもしない崔龍洙(チェ・ヨンス)さんの......」
0-1で迎えた50分、ジェフがPKを獲得する。同点に追いつく千載一遇のチャンス。この場面でPKキッカーとして登場したエースストライカーの崔龍洙が選択したのは、まさかのチップキック――。
「あらためて振り返ると、あの場面で、よくあんな恐ろしいことができたなって(笑)」
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