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現役のオシムチルドレン、水本裕貴。35歳の今も忘れない名将の声 (4ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 浦和レッズとの準決勝第2戦は先発フル出場を飾った水本だったが、ガンバとの国立決戦ではベンチを温めることになり、最後まで声が掛かることはなかった。

「もちろん、試合に出たい気持ちはありましたけど、クラブの初タイトルが懸かっていましたし、なんとしてでも勝ちたいっていう気持ちが強かった。ベンチスタートになったのも、自分が力不足だったから。3人が交代して出番がなくなってからも、ピッチの外で、チームのためにできることをやろうと思っていました。タイトルが獲れたときは、純粋に嬉しかったです」

 プロ3年目の2006年シーズンを迎えると、水本は最終ラインの一角をがっちり掴んだ。

 だが、シーズンの半ばで指揮官との別れがやってくる。オシムの日本代表監督への就任が決まったのである。

「指導してもらえなくなる寂しさはありましたけど、代表に選ばれるために、さらに努力していこうという気持ちのほうが強かったですね」

 その誓いどおり、恩師と再会する日はすぐにやってきた。オシムジャパンの初陣から1カ月半後の10月1日、日本代表に初選出されるのだ。それどころか、3日後に横浜国際総合競技場で行なわれたガーナ戦で、3バックの右としてスタメンに抜擢された。

 その後半のことである。逆サイドにある日本のベンチから「ミズ! ミズ!」と叫ぶオシムの声が、水本にははっきりと聞こえた。

「あれだけたくさんの観客が入っていたのに、確かに聞こえたんです、ジェフのときと同じようなオシムさんの声が。それで奮い立つことができた。よし、やるぞ、もっとやらなきゃいけないって。それはすごく印象に残っています」

 その後、水本は何度もブルーのジャージーに身を包み、2008年には北京五輪の舞台にも立った。ガンバ、京都サンガF.C.、サンフレッチェ広島、松本山雅FC、FC町田ゼルビアと渡り歩き、35歳となった今なお現役として情熱をたぎらせている。

「プロになって最初の監督がオシムさんだったことは、自分にとって本当によかったですね。オシムさんじゃなかったら、サッカーについて深く考えられなかったと思うし、もしかしたら、もう現役でプレーしていなかったかもしれない。ここまでキャリアを築けたのは、オシムさんのおかげ。感謝しています」

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