オシムジャパンのコーチだった小倉勉の驚き。間近で見た選手の進化
「オシムの教え」を受け継ぐ者たち(5)
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今から18年前、ジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に、大柄なボスニア人指揮官が着任した。彼の名は、イビチャ・オシム――。1990年イタリアW杯でユーゴスラビア代表をベスト8へと導いた知将だった。
鋭いプレッシングと、後方から選手が次々と飛び出していくアタッキングサッカーで旋風を巻き起こした"オシム・ジェフ"は、瞬く間に強豪チームへと変貌を遂げる。のちに日本代表監督も務めた指揮官は、ジェフの何を変えたのか。その教えは、ともに戦った男たちの人生にどんな影響を与えたのか。「日本人らしいサッカー」を掲げた名将の薫陶を受けた"オシムチルドレン"やスタッフたちに、2022年カタールW杯前年のいま、あらためて話を聞いた。
第5回は、前回に続きジェフと日本代表でもコーチとしてオシムを支えた小倉勉が、その後のキャリアでも大切にしているオシムの指導者としての姿勢を話した。
2006年7月に発足したオシムジャパンでもコーチを務めた小倉(右から2番目) photo by AP/AFLO***
2003年から2006年7月までの4年半にわたるイビチャ・オシム体制において、ヘッドコーチの小倉勉がフルタイムで指揮官を支えたのは、2003年、2004年の2年間だけだった。
U−15日本代表監督の城福浩から要望され、2005年にU−15日本代表のコーチを務めることになったからだ。
「当時、U−17W杯への出場を2大会続けて逃していて、城福さんは『絶対に出たい』と。『ボールを動かし、人も動くサッカーでアジアを突破して世界に行きたい。オグの力を貸してくれないか』と誘われたんです。僕にとっても興味深い話でしたし、城福さんとは同時期にトレセンコーチを務めた間柄。トライする価値があるんじゃないかと」
城福がジェフユナイテッド千葉のクラブハウスに足を運ぶと、オシムは小倉のU−15日本代表コーチ就任の打診を快く受け入れた。
「オシムさんは僕に『行くな』とも言わないし、『行け』とも言わなかった。でも、『うちでやりながら、活動がある時だけ向こうに行けばいいんじゃないか。両方やればいいだろう』というような話をされて。それで、掛け持ちしていたんです」
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