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オシムジャパンのコーチだった小倉勉の驚き。間近で見た選手の進化 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 2006年になると、小倉はジェフを離れた。この年にU−16アジア選手権決勝大会に臨む代表チームに専念するためだ。ジェフもコーチングスタッフを刷新した。

 だが、半年後、小倉は期せずしてオシムと再会することになる。オシムが日本代表監督に就任したからだ。

 この時、小倉は日本サッカー協会から、U-16代表とA代表のコーチを兼任し、オシムを支えるという任務を受けた。そして迎えた最初のスタッフミーティングの場で、オシム節が炸裂する。

「『どうしてここにいるんだ? 俺はお前のことを呼んだ覚えはないぞ』って、意地悪を言われて。ほかのコーチングスタッフの方々が大爆笑。参りましたね(苦笑)」

 オシムとともに戦った日本代表のゲームのなかで、小倉にとって最も印象に残っているのは2007年9月、オーストリアで対戦したスイス戦だ。翌年のEURO2008の開催国(オーストリアとの共催)であり、ベストメンバーのスイスに対して、打ち合いの末に4-3で勝利したのだ。

「逆転して勝ったという劇的な展開もそうなんですけど、かなりのメンバーを揃えてきたスイスとアウェーでこれだけの戦いができるんだなって。このサッカーを磨いていけば、世界で通用するんじゃないか、と手応えを掴んだ試合でした」

 オシムが脳梗塞で倒れ、代表監督を退任するのは、その2カ月後のことだった。
 
 その後、コーチとして2010年南アフリカW杯や2012年ロンドン五輪に参加し、大宮アルディージャの監督やヴァンフォーレ甲府のコーチ、ジェフのコーチなどを歴任した小倉にとって、ジェフ時代にオシムから学んだことは財産になっているという。

 例えば、エースの扱い方である。2003年にチーム内得点王だった崔龍洙(チェ・ヨンス)に対しても、オシムは特別扱いすることなく、厳しく接していた。

「チームの絶対的なエースというと、腫れ物に触るような感じになることってあるじゃないですか。でも、オシムさんははっきりと『20点取っていようが、30点取っていようが、エゴは許さない』と言っていたし、ヨンスがミスしたら、練習中に走らせていましたからね」

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