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現役のオシムチルドレン、水本裕貴。35歳の今も忘れない名将の声 (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 ルーキーイヤーをリーグ戦5試合、カップ戦2試合の出場で終えた水本に2005年シーズン、大きなチャンスが巡ってくる。

 当時のジェフの守備の要で日本代表DFである茶野隆行のジュビロ移籍が決まったのである。

「代表に選ばれていた同じポジションの選手が抜けたんですから、これはチャンスだと思いました」

 2005年シーズンの開幕スタメンの座を射止め、3試合連続フル出場。プロ2年目は順風満帆かと思われた。しかし......。

 水本にとって忘れられないのは4節、4月9日のトリニータ戦である。2分と5分に連続失点すると、ピッチサイドに自身と同じポジションの結城耕造が現れた。隣に立つ第4の審判が掲げたボードには、水本の背番号である27の数字が光っていた――。

「開始10分で代えられてしまったんです。2失点目には自分も絡んでいて。ショックでしたね。そのあと、チームが逆転してくれたので、少しは救われましたけど......」

 衝撃の交代劇もさることながら、4日後にはさらなるサプライズが待っていた。

「試合翌日から4日後のジュビロ戦まで、監督から声を掛けられることは一切なかった。でも、一生懸命やるしかないなって、ショックを引きずらないようにして練習に取り組んでいた。そうしたら、ジュビロ戦のスタメンに指名してくれて。試合にも勝てたので、すごく嬉しかったのを覚えています」

 オシムはその3日間、水本の振る舞いを観察していたのだろう。水本が落ち込んだままだったり、ふて腐れていたとしたら、起用しなかったはずだ。奮起する水本の姿があったからこそ、汚名返上のチャンスを与えたに違いない。

 オシム体制3年目となるこの年、待望の初タイトル獲得のチャンスが巡ってくる。ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝に進出したのだ。クラブとしては1998年以来、2度目の機会だった。

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