浦和サポに土下座した清水の守護神。今も愛され続ける「クモ男」 (3ページ目)
このあおりを受けて構想外となったシジマールは、シーズン途中の10月に退団会見を行なった。スポーツ新聞各紙は「GKシジマールを支えてくれた日本人に『ありがとう』と言いたい。誘いがあれば、再びエスパルスでプレーしたい」と、シジマールの未練を伝えている。
すると事態は、ここから意外な展開を見せる。
シジマール退団会見直後からサポーターが「シジマール復帰署名運動」を展開、そして12月になって2万6000人分の署名をクラブ事務所に持参した。2ndシーズン6位だったリベリーノ監督の手腕が疑問視されていたこととも重なって、クラブは監督を解任してシジマール再獲得へと舵を切った。
退団会見から数カ月で清水に戻ってきたシジマールは、1995年シーズンは宮本征勝監督の意向もあって再びGKコーチ兼任で復帰。リーグ戦では14試合でゴールマウスを守り、シーズン終了後に引退した。
Jリーグ3年間・61試合に出場したなかで、とりわけ印象深いのが『シジマール土下座事件』が起きた1995年4月26日の浦和レッズ戦(清水が3−2で勝利)だろう。
試合中からシジマールと浦和サポーターは互いに挑発し合っていたが、決定打となったのは試合終了後にシジマールが浦和ゴールにボールを蹴り込んだ行為。シジマールは「5連敗がストップした喜び」と釈明したが、浦和サポーターには侮辱行為に映った。
ヒートアップした浦和サポーターはパイプ椅子やペットボトルを投げ込み、50人を超すサポーターがシジマールめがけてピッチになだれ込んだ。この試合で3−2で勝利した清水の立役者としてマン・オブ・ザ・マッチに選ばれていたシジマールは、この騒動収拾のために土下座して謝罪したというもの。
ただ、この話には続きがある。後年に浦和レッズのイベントに参加したシジマールは、土下座パフォーマンスを披露して浦和サポを沸かせた。こうした側面が現役引退後もシジマールが日本のサッカーファンに愛されている理由なのだろう。
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