阿部勇樹の悔恨「オシムさんが倒れたのは
自分の責任だと思っている」 (3ページ目)
あそこで優勝できていれば、オシムさんが倒れることはなかったかなと、勝手に思っていました。それは、今も変わらない。オシムさんが倒れてしまったのは、自分の責任だと思っています」
阿部は、その時の気持ちをずっと抱えたまま、今までプレーしてきた。
多くのファンに見送られて日本を去ったオシム。photo by Kyodo News 2009年1月、オシムが日本を離れ、オーストリアに帰国する時、阿部は成田空港へ駆けつけた。空港にはジェフのサポーターなどを含め、300人以上もの人が集まっていた。その中で阿部は、万感の思いを込めて、オシムを見送った。
オシムと阿部の"師弟関係"は、今も続いている。日本を離れたあとも、阿部はオシムのもとを何度か訪れて、プレーヤーとしてあるべき姿について助言をもらったり、今後について相談に乗ってもらったりした。
阿部は、キャリアの晩年を迎えつつある。アテネ五輪をともに戦った仲間たちも、次々に引退していっている。
「オシムさんと会った時、指導者についての話もしたんです。僕は、今までオシムさんをはじめ、多くのすばらしい監督に教えていただいて、ここまでやってきた。それを(将来を担う)選手に伝えていかないといけない役目があるのかなって思っている。指導者という道を考えつつ、(今後は)そういう目線でもサッカーをしていこうと思っています」
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