阿部勇樹の悔恨「オシムさんが倒れたのは自分の責任だと思っている」
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第13回
サッカー人生を劇的に変えた運命の出会い~阿部勇樹(3)
阿部勇樹が「監督が危篤」という報告を受けたのは、イビツァ・オシムが倒れた翌日だった。関係者から連絡が入って、面会謝絶の状況だと聞いた。
「連絡をもらった時は、驚きましたよ。とにかく『無事であってほしい』と思ったし、早く『無事だ』という報告を聞きたかった。すぐにでも病院に行きたかったけど、面会謝絶なので、行っても会えないし、モヤモヤしながら自宅待機していたのを覚えています」
オシムは、もともと心臓に持病を持ち、高血圧でもあり、健康面には不安を抱えていた。この時は、深夜にプレミアリーグの試合をテレビで観戦したあとに倒れ、緊急搬送された。
意識が回復するまで、10日以上かかり、ようやく危篤状態から脱した。その後、容態が安定し、面会もできるようになった。
2007年に、ジェフユナイテッド市原から浦和レッズに移籍した阿部は、その頃、FIFAクラブW杯に出場。準決勝まで駒を進め、カカやアンドレア・ピルロをはじめ、クラレンス・セードルフ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、アレッサンドロ・ネスタら多彩なタレントを擁するミランとも戦った。
その試合が終わったあと少しして、阿部はその報告を兼ねて、オシムが入院する病院を訪れた。
「(オシムの)病室を訪れた時は、なんか変な汗が出て、すごく緊張しました。会うのが久しぶりだったせいもあったのか、(ジェフで)キャプテンになって、みんなに『休みをもらってこい』と言われて、監督室に行った時のような緊張がありました。
でも、顔を合わせると、『どうだった、ミランは?』って聞かれて(笑)。病気で寝ている状況でも、サッカーを見ていてくれたようで、うれしかったですね」
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