「怪物くん」明神智和に見る
サッカーの本質とプロという仕事 (2ページ目)
そこで味わった興奮、サッカーの面白さ、プロサッカー選手としてプレーすることの厳しさ、楽しさがあったから、『もっとうまくなりたい』『もっと試合に出たい』『勝ちたい』と思えたし、その欲をずっと持ち続けていたら、41歳になっていました。
この24年間、サッカーを嫌いになったことも、やめたいと思ったことも一度もありません。僕にとってのサッカーは、今も変わらず『大好きなもの』で、と同時にプロになった瞬間からは『仕事』でした」
自分がただ大好きなサッカーを楽しむだけではなく、見ている人が、それを楽しいと思えるか。お金を払ってスタジアムに足を運んでよかったと思えるか。最後まで、そのことに愚直に向き合いながら、サッカーに魅せられ、サッカーを愛し続けた24年間だった。日本代表でも活躍した明神智和 余談だが、ルーキー時代の明神のことを鮮明に覚えている元チームメイトがいる。長野の現監督、横山雄次だ。当時、28歳だった横山に対し、明神は18歳。華々しいデビューを飾ったとはいえ、当時の明神からは、のちに日本を代表する選手に成長する姿を「想像できなかった」と横山は振り返る。
「ルーキーだった頃から、明神は先輩選手に可愛がられていたし、後輩からも慕われていました。誰に言われるでもなく、黙々とチームのために働ける選手でしたが、まさか自分が50歳になって、監督と選手という立場で明神と再会するとは思ってもみませんでした。
当時も、よくチームメイトと話していましたが、今現在の彼のキャリアを想像できるようなところはまったくなく......(苦笑)。僕もまだ選手で、先輩選手としての意地もあり、『明神よりも自分のほうが断然うまい』と自負していたというのが本音です。ただ、サッカーの本質は、そこにはなかったということだと思います。
事実、この一年、同じチームで一緒に仕事をするようになってからの振る舞い、練習態度を見ていても、彼はどんな状況に置かれても、絶対に手を抜くことはありませんでした。勝っても、負けても、同じようにしっかりと準備をし、41歳になった今シーズンも、練習はフルメニューでやりきっていた。
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