カミンスキーが母国・ポーランドの謎に迫る。なぜ優れたGKが多いのか (2ページ目)

  • 井川洋一●構成・文 text by Igawa Yoichi
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

 ここで偶然が起こった。

 ポーランドには栄光の歴史がある。1974年西ドイツW杯と1982年スペインW杯で3位に入り、1972年ミュンヘン五輪で金メダル、1976年モントリオール五輪で銀メダルを取った時代だ。インタビュアーは、この黄金期を最後尾から支えたレジェンドGKの影響が、ポーランドから複数の優れたGKが生まれる理由ではないかと考え、次にその質問を用意していた。

 するとカミンスキーはそのうちのひとり、ヨゼフ・ムイナルチク(1982年スペインW杯での守護神)の指導を受けたことがあるというのだ。

「U-21代表の合宿に参加した時、GKコーチがムイナルチクだったんだ。彼はポーランドで、(ヤン・)トマシェフスキ(1974年西ドイツW杯での守護神)と並び称される偉大なGKだ。晩年にはポルトでヨーロッパチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)を制し、ポーランドだけでなく、ポルトガルでもレジェンドとして崇められている。

 彼は指導者としても大変優れていた。教え子への要求はおそろしく高く、本当の意味でのハードワークを強いられたよ。でも、そのおかげで僕はたった2週間の合宿で飛躍的に成長できた。今でも、彼の教えは役に立っている。セービング技術はもちろん、頭の使い方を叩き込まれた。試合の流れやボールの軌道を予測し、常に集中を切らさないこと。GKにとってそれがどれほど大事なのかを教わったんだ」

 ひとつの国や地域で特定の競技が繁栄するとき、そこには偉大なロールモデルがいるケースが多い。たとえば、旧ユーゴスラビア圏ではノバク・ジョコビッチをはじめ、トップレベルのテニス選手が複数いるが、それは1990年代初頭に活躍したモニカ・セレシュの影響があると言われる。また日本のフィギュアスケートの隆盛には、伊藤みどりの存在が大きいはずだ。おそらく、それは特定のポジションにも置き換えることができる。カミンスキーもその可能性に同意した。

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