岩政大樹の言葉に支えられ、
昌子源は「背番号3の魂を受け継いだ」 (5ページ目)
――周囲の声の厳しさが、「鹿島の背番号3」を育てたのかもしれませんね。
「そういうことなんでしょうね。とにかくメンタルが鍛えられました。『僕は僕のやり方』で闘うだけだと開き直れたんです」
――その年、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で優勝。翌2016シーズンはファーストステージで優勝し、チャンピオンシップも戦い抜いてJリーグ王者に。その後、クラブW杯準優勝、天皇杯優勝と結果を出せました。
「チャンピオンシップは大きな自信を与えてくれました。タイトルを獲得することで、鹿島の一員としての務めを果たせた。その勢いがあったからこそのクラブW杯や天皇杯だったと思っています」
――あと一歩のところでタイトルを逃した2017シーズンを経て、向かえた今季は、ロシアW杯にも出場。W杯では、大迫勇也選手、柴崎岳選手、昌子選手とセンターラインに鹿島の選手が並びました。
「実はそういうふうに考えることはなかったんです。とにかく、無我夢中だったから。あとから言われて、なるほどなという感じで(笑)」
――W杯後は、足首を痛めて長期離脱することになってしまいました。
「2013年の膝の負傷以降、初めての大きな怪我でした。あのときはレギュラー目前としての離脱でした。大樹さんには『今じゃないということ。またチャンスは来る』と言われたんですが、今回もとにかく焦らず、リハビリに集中しようと思いました。チームには迷惑をかけているけれど、次のチャンスを待つんだという気持ちで開き直れた」
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