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半年で鳥栖に復帰した豊田の胸中。
「そんなに長い時間は残されていない」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki 中西祐介/アフロスポーツ●写真 photo by AFLO SPORTS

「自分の年齢を考えたら、そんなに長い時間は残されていない。さらに半年間も、韓国にとどまることはできないな、と。それで、鳥栖への復帰を相談しました。他のクラブでプレーする選択肢はなかったですね。鳥栖の降格を避けたい、という気持ちがありましたし、そこで必要とされるなら、と」

 韓国での試合は、5月21日、ロシアW杯による中断期間前が最後になった。ACLで敗れ、つなげていた気持ちも切れていた。6月には、鳥栖のイタリアキャンプに帯同することが決まった。

「自分としては、結果を残せず戻ってきたことに、悶々とするところはありました。直感的に決めるべきじゃなかったなと。でも、嫁が『若いときから一度は海外でやりたいって言って、どんなものかわかっただけでもよかったじゃない。行かずにキャリアが終わっていたら、後悔していたかもよ』と言ってくれて、それもそうだなと。ACLを経験できましたし、思いやりや気遣いという、日本人のよさを再認識できたのもよかったです」

 豊田はそう言って腕を組んだ。消化不良の想いは残っている。しかし、得たものがないわけではない。ひとりのプロ選手として鷹揚(おうよう)に構え、試合に向き合えるようになったという。

「韓国の選手は、食生活はめちゃくちゃだし、練習もかなりゆるい感じ。鳥栖のほうが断然きついですよ。ただ、韓国の選手は本番に強いんです。その点、自分は少し思いつめすぎていた。それでがんじがらめになっていたんじゃないか、と思うようになりました。手を抜くのとは違うけど、うまく割り切って、リラックスしてサッカーに取り組めるようになりましたね」

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