ユースで裸の王様だった鈴木優磨が「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko   井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

――マルキーニョスから何を盗みましたか?

「マルキは相手DFに身体を当てるのが本当にうまいです。空中戦のときもボールじゃなくて、ギリギリまで相手を見ている。ボールは見ていないんです。相手を見ながら上手に身体を当てて、最後の最後でボールを見て、シュートを打つ。そのタイミングなどを学ぼうとしました」

    ――プロになる夢や目標はなかったと言っていましたが、高校生になってもその気持ちは変わらず?

「そうですね。7割くらいはなれないだろうと思っていました。ユースからトップに上がる選手が誰もいない代もありますし。それでも高2までは、チームの中ではイケイケだったんです。僕は地域トレセンとか、そういう選抜チームとも無縁だったから、鹿島の中しか知らなくて、裸の王様みたいなものでした。身内だけで、俺はすごいと思っているような選手だったんです。

だから、高3になる前にトップチームの宮崎キャンプに参加することになったときも、『まあ、やれるだろう』くらいに軽く考えていたんですよね。当時のユースの監督だった熊谷(浩二)さんは、そんな僕の気持ちもお見通しで、『トップへ行って厳しさを味わって、へし折られてこい』という感じで送り出されたんですが、その通りになりました。

ファーストプレーで植田(直通)くんにポンと吹っ飛ばされた。年齢的には2歳しか違わないけれど、2年プロでやっている人は違います。当時の監督はトニーニョ・セレーゾで練習も厳しくて。本当につらい2週間でした」

――熊谷監督の反応は?

「すごく喜んでいたと思います。そこから卒業までの1年間は、過去にないくらいもっとも努力しましたから」

――それはプロになりたいと思ったから?

「すべて、全部が全部、違いが凄すぎたんです。なにをしても、すぐに宮崎キャンプのことが脳裏によみがえるんですよ。プロになる、ならないじゃなくて、単純にもっとやらなくちゃまずいだろうって。何とかしなくちゃダメだ、ヤバイなという危機感が初めて生まれました。同時に開き直れた部分もあった。やれるところまでやるしかない。だったら、全力でやり尽くしてみようって」

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