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【育将・今西和男】小林伸二「決めつけず、押しつけずに伸ばす」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

 小林はまた裏方スタッフとの交流も密に図った。当時の社員だった豊東和夫は「いろんな監督が来られましたが、早々に若い社員全員と、大分川でバーベキューする会を開いたり、食事に招いてくれたのは伸二さんが初めてでした」と言う。

 2001年、途中で監督を引き継いだ小林のトリニータは第2クールでは暫定1位にまで上昇する。若いチームは運動量も豊富で、ラインを高くしてボールを奪うスタイルが機能して、指揮を執り出してから8試合無敗という好成績を生んだ。この年は結局、6位で終わるが、翌2002年は強化予算を削られながら、サンドロ、有村光史など効果的な補強を断行する。ヘッドコーチの現・五輪代表監督の手倉森誠と組み、キャプテンには中盤で声の出せる浮気哲郎を指名した。ラインを引き気味にして守備を固め、むしろ前のスペースを作って、アンドラジーニョの飛び出しや西山哲平のドリブルを生かすスタイルは奏功し、ついにJ2優勝を達成、大分にとっての悲願であったJ1昇格を決めた。

 小林の「J1昇格請負人」という軌跡はここから始まったと言えよう。最後に、かつてのサンフレッチェからこれだけの指導者が育っている理由は何かと聞いた。

「今西さんが偏った見方をしていなくて、懐が広いんですよね。風間八宏だったり、松田浩だったり、私だったり、若手の森保だったり、いろんなタイプを取ってきて、それに合ったものを提供してくれているんですね。『お前ら、全員こうだ』ではなくて、それぞれ違ったソースを分けて与えているんです。ある程度伸びると、違う仕事に挑戦させたりして、さらに伸ばす。決めつけずに押しつけずに伸ばす。それは今の自分の指導にも影響を与えてくれています」


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