大久保嘉人、豊田陽平...ストライカーの条件は「群れないこと」 (3ページ目)
そんな告白をするストライカーは少なくない。野蛮なまでの我の強さは、集団生活においては褒められたことではないだろう。しかしその利己的な生き方こそが、点取り屋としてチームを敗北から救い出し、勝者とする。そもそもの話、ゴール前は死に物狂いの“戦闘”が繰り広げられる場所であり、そこで力を発揮するのは他者を圧倒できる個の力のみなのだ。
「ストライカーは資質として、ナルシストである必要がある。自分を厚かましいほど信じられるか。得点を取るのは簡単な仕事ではない」
かつてレアル・マドリードを王者に導いた名将、ホルヘ・バルダーノはストライカー像を評している。
<俺のゴールでお前らを勝たせてやるぜ!>
それは独善的な物言いに聞こえるが、それは“ストライカーならでは”のダンディズムなのだ。
もっとも、名を残す点取り屋はちっぽけなナルシストのままでは終わらない。集団の中でリスペクトされる振る舞いを、後天的に習得する。例えば、得点につながるクロスボールを出した味方に深く感謝する。信義によって絆を深め、お互いが輝かし合うことを学ぶ。集団の中で磨かれることで、“仲間を思う”という意味を理解し、彼らはやがて本物の男になり、さらに得点を生み出す機会を増やすのだ。
そんなストライカーたちと“斬り結ぶ”ようなやりとりが、僕は嫌いではない。
※この原稿は、ジャンプSQにて小宮良之氏が連載しているコラム『1/11の風景』に加筆修正を施したものです。
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