サッカー日本代表を育てた国立競技場の歴史 ベテランライターが忘れられない名勝負とは? (2ページ目)
【忘れられない国立での日韓戦】
さて、僕が国立競技場で観戦した数多くの試合のなかで最も強く印象に残っているのは、1967年10月に行なわれたメキシコ五輪予選の韓国戦だ。6チームのリーグ戦の4戦目に、3戦全勝同士の日本と韓国が降り続く雨のなかで激突した。
1967年に行なわれたメキシコ五輪予選の日韓戦のチケット(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る 日本代表は東京五輪でアルゼンチンに勝利して準々決勝進出に成功。4年後のメキシコ大会に向けて長沼健監督は留任し、選手もほとんど変更なく、成熟度は上がっていた。
一方、かつてアジアの絶対王者だった韓国も1960年代に入ってやや弱体化していたので、ホーム開催ということもって「日本有利」と見られていた。
日本は前半のうちに2点を先行する。前半終了間際にも決定機があったのだが、雨にぬかるんだピッチでバウンドが変わって、ボールは八重樫茂生の膝に当たって得点できなかった。
後半に入ると韓国が反撃。69分までに2対2の同点とされてしまう。直後に釜本邦茂が決めたが、韓国が再び同点......。そして、試合終了直前、ドリブルで持ち込んだ韓国の金基福(キム・キボク)が30メートルのロングシュート。ボールは日本ゴールのクロスバーに当たって跳ね返り、試合は3対3の引き分けに終わった。
五輪出場権争いは得失点差の勝負となったが、日本は初戦でフィリピン相手に釜本がひとりで6点を決め、15対0と圧勝していた。一方、韓国は最終戦でフィリピンから5点しか奪えず、南ベトナムに勝利した日本が出場権を獲得。メキシコ五輪では銅メダルに輝くことになった。
だが、もし最後の金基福のシュートがもう数センチ低かったら、メキシコ五輪出場も、銅メダルもなかったかもしれないのだ。
実にエキサイティングな試合だった。あの日韓戦を見ていなかったら、僕はこんなにサッカーが好きになっていなかったかもしれないと思っている。
その後も、日韓戦では様々なドラマがあった。
1972年の第1回日韓定期戦では後半の追加タイムに釜本が同点ゴールを決めて引き分けたが、五輪やW杯の予選では韓国に敗れた光景ばかりが蘇って来る。
1985年のメキシコW杯最終予選も日韓直接対決となったが、満員の国立競技場で行なわれたホーム第1戦でも韓国に2点を先行され、木村和司があの伝説のFKを決めたものの1対2で完敗。アウェーでも敗れて日本のW杯出場の夢は潰えた。
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