サッカー日本代表の「無失点」はそれほど重要か 一観戦者にとって魅力的な試合とは? (2ページ目)
【「完封」を望む観戦者ばかりではない】
だが、本当にその必要はあるのだろうか。サッカー的な発想なのだろうか。失点を恐れず、追加点を狙いにさらに攻撃的に行くという考え方があってもいいのではないか。
テレビ解説者は、言ってみれば監督予備軍だ。監督浪人や監督卒業者も含まれるが、その大半は元サッカー選手だ。選手時代から、指導者にそうした教育を受けてきたと考えるのが自然である。
印象に残っているのは、1999年のシドニー五輪アジア予選、フィリップ・トルシエ率いる五輪代表チームが香港スタジアムで、地元香港と対戦した時のことだ。4-1という結果を受けて、主将の宮本恒靖(現サッカー協会会長)は「4-0で終わりたかった。最後の1点は余計だった」と語った。
だが、スタンドを満員に埋めた地元ファンは、最後の1点で救われることになっただろう。そこまで心を鬼にしなくてもいいのではないか。そのコメントを聞きながら筆者はそう思ったものだ。選手、主将としてはそれが"王道"を行く姿かもしれないが、すべての観戦者がそれを望んでいるわけではまったくない。
ヨハン・クライフ(アヤックス、バルセロナなどの監督を歴任)は筆者に同意を求めるように語りかけてきたものだ。
「観客にとっては1-0より3-2のほうがいいだろ。面白くない1-0ならば、いっそ2-3で敗れたほうがいいくらいだ。私はそうした志向の持ち主なんだ」
一方、プレッシングフットボールを提唱したアリゴ・サッキ(ミラン、イタリア代表などの監督を歴任))はこう述べている。
「1-0を好むイタリア人にとって、カンプノウのファンは驚き以外の何ものでもない。1-0になってゲームが停滞すると、『なぜ2点目を狙いに行かないんだ』と怒り出す。イタリア人では考えられないことだが、これがサッカーのあるべき姿だと思う」
後にレアル・マドリードのダイレクターに就任したサッキだが、筆者はバルセロナの練習場でサッキの姿を2度見ている。「トータルフットボール」の継承者であるクライフと、プレッシングの提唱者であるサッキが近い関係にあることを目撃している。
実際、サッキは「プレッシングサッカーはトータルフットボールの延長上にあるものだ」とこちらのインタビューに答えている。「トータルフットボールが出現する前と後でサッカーの概念は180度変わった」とも述べている。近代の欧州サッカーはこの2大発明によって支えられているのである。それと攻撃的は同義語なのである。
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