パリオリンピックで旗手怜央が思い出す3年前の東京オリンピック 今も心に残っている吉田麻也の言葉がある (2ページ目)
【積極的に取り組む姿勢を見せる】
グループステージ第1節の南アフリカ戦に、左SBとして途中出場した僕は、1-0の勝利に貢献することができた。第2節のメキシコ戦に出場する機会はなかったが、僕自身は第3節のフランス戦に懸けていた。
第1節は左SBでの途中出場だったとはいえ、4-2-3-1で戦う当時のチームは、左サイドハーフの選手が定まっていないように感じていたからだ。加えてオリンピックは、試合間隔が中2日の連戦で、短期決戦になる。勝ち抜くには選手全員の力が必要なように、どこかで自分にも先発出場する機会が巡ってくるだろうと思っていた。
そのため、出場機会のなかった第2戦後も、モチベーション高く練習に取り組んでいた。チャンスが与えられるとすれば、連勝して迎えた第3節のフランス戦で、自分が先発する可能性は高いと考えていたからだ。
また、日本代表の森保一監督、さらに横内昭展コーチ(当時)は、そうした選手たちの姿勢や表情を見逃さない人でもあった。当然、試合に出るからには実力も伴っていなければいけないとは思うけれど、全力で練習に取り組み、アピールし続けると、僕は先発出場するチャンスを与えられた。それも左SBではなく、本来、自分が主戦場としていた左サイドハーフで。
後半途中から左SBにポジションを移したもののフル出場し、フランス戦は4-0で勝利した。この試合を機に、僕は決勝トーナメントに入ると、先発出場するチャンスを増やしていった。PK戦の末に勝利した準々決勝のニュージーランド戦は左SBだったが、準決勝のスペイン戦は左サイドハーフで先発し、3位決定戦のメキシコ戦も左サイドハーフで途中出場した。
東京五輪で日本代表が戦った6試合のうち5試合に出場。さらに3試合で先発出場することができた。結果的に、左SBとしてプレーするよりも、左サイドハーフでプレーする時間のほうが長かった。
左SBに挑戦することで、自分自身の立場や状況を好転させたように、この時学んだのは、姿勢を見せ続けることだった。特にオリンピックは短期決戦であり、少数精鋭で臨む大会でもある。だからこそ、日ごろのトレーニングから意欲を持ち、積極的に取り組んでいく姿勢がチャンスをつかむし、チームの流れすら変えるきっかけになると学んだ。
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