田嶋幸三から宮本恒靖新会長へ「院政を敷くつもりは一切ない」 やり残したことは「強いて言えば...」 (4ページ目)
【現場の監督をもう少しやりたかった】
JFA会長として過ごした8年間に後悔はない。ならば、サッカー人生でやり残したことは?
田嶋は「強いて言えば」と切り出した。
「現場の監督をもう少しやりたかった、というのはあるかなあ。僕は体育の先生になりたくて筑波大学で学び、アンダーカテゴリーの監督もやらせてもらったので。短い時間だったけれど、現場で働くのは本当に楽しかった。育成年代の選手たちが成長していく姿に接するのは、指導者として何よりの喜びでしたよね」
田嶋の表情に実直さが浮かび上がる。強化や育成、普及などの最前線から退いても、サッカーとの関わりは続いていくのだろう。
<了/文中敬称略>
【profile】
田嶋幸三(たじま・こうぞう)
1957年11月21日生まれ、熊本県天草郡出身。現役時代のポジションはFW。浦和南高3年時に高校選手権を制覇し、筑波大学4年時に日本代表に選出される。1980年から1982年まで古河電工でプレーしたのち、引退して指導者の道へ。西ドイツに留学してB級ライセンス、1996年にJFA公認S級ライセンスを取得し、1999年から2002年にかけてU-16、U-17、U-19代表監督を務める。2002年にJFA技術委員長となり、2016年3月に第14代JFA会長に就任。2024年3月、4期8年の任期を終えた。
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
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