田嶋幸三「サッカーの火を消してはならない」100年に一度の危機にどう立ち向かったか (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【感謝の気持ちを示す行動をサッカー界からやっていこう】

 活動の前提となるPCR検査についても、JFAは各スポーツ団体にその方法論を示した。スマートアンプ法による核酸増幅検査である。PCR検査より判定までの時間が短く、検査用の機械を持ち運びできるなどの理由から、スマートアンプ法による検査はスポーツの現場にマッチした。

「コロナ禍では都道府県をまたぐ移動に制限があったりしました。そういうなかでも各年代の代表チームの強化を止めないために、国内で合宿などを開くとすると、検査が欠かせません。集合時から開催時、自チームへ戻ったあとにも検査をしてもらうことで、事前に無症状の感染者を特定するとか、感染の拡大を防ぐことができました」

 2021年3月から4月にかけて、JFAは国内で国際試合を重ねた。5月下旬から6月中旬にかけては、日本代表、U-24日本代表、なでしこジャパンの3カテゴリーで合計9試合を消化した。コロナ禍での試合運営がシステム化され、JFAの活動は東京五輪開催の貴重なエビデンスとなった。

 6月の各試合の会場では、医療従事者、医療関係者、エッセンシャルワーカーへ拍手が送られた。キックオフに先立って各チームの選手、監督、スタッフが、感謝とエールを拍手に込めた。

 田嶋が言う。

「僕自身が罹患して入院して、医療従事者のみなさんのご苦労は身にしみて理解していました。試合前の拍手はヨーロッパでは早い段階で行なわれていて、これは自分たちも絶対にやるべきだと思いました。感謝の気持ちを実際の行動で示すことを、僕らサッカー界からやっていこう、と」

 コロナとどう向き合うのか。コロナ禍でどう活動していくのか。コロナがもたらす差別や偏見を、いかにして労いや励ましへ変えていくのか──。

 日本社会に巣くう疑問を解決するために、JFAは試行錯誤を繰り返しながら動き続けた。その足跡は10年後、50年後、100年後に、あらためて評価されるのではないだろうか。

(04につづく/文中敬称略)

◆田嶋幸三・04>>宮本恒靖新会長へ「院政を敷くつもりは一切ない」


【profile】
田嶋幸三(たじま・こうぞう)
1957年11月21日生まれ、熊本県天草郡出身。現役時代のポジションはFW。浦和南高3年時に高校選手権を制覇し、筑波大学4年時に日本代表に選出される。1980年から1982年まで古河電工でプレーしたのち、引退して指導者の道へ。西ドイツに留学してB級ライセンス、1996年にJFA公認S級ライセンスを取得し、1999年から2002年にかけてU-16、U-17、U-19代表監督を務める。2002年にJFA技術委員長となり、2016年3月に第14代JFA会長に就任。2024年3月、4期8年の任期を終えた。

プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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