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チームにジレンマを抱えていたブラジルW杯 大久保嘉人は「中村憲剛さんがいてくれたら...」と何度も思った

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第26回
まったく異なるW杯を経験した男の葛藤~大久保嘉人(3)

◆(1)大久保嘉人がザックジャパンに呼ばれたのは「引退を考えていた時だった」>>

◆(2)ブラジルW杯、大久保嘉人が「負の連鎖」が始まった瞬間を明かす>>

 2014年ブラジルW杯2戦目のギリシャ戦、日本は攻め手を見出せず、試合は0-0のまま終わろうとしていた。大久保嘉人は「もっとボールを回せ」「パスを前に出してくれ」と要求していた。

 大久保の要求は、決して無謀なことではなく、できないことを言っているのではなかった。これまでやってきたことを出せばいいのに出さない、やろうとしないチームに、大きな声で叱咤した。

「試合に勝たないといけない、点を取らないといけないというプレッシャーが大きくて、みんな焦っていたんだと思う。何を言っても最後まで攻撃は変わらなかった」

 ギリシャ戦はそのまま、大きな変化が起こらずに0-0のスコアレスドローに終わった。

 2戦を終えて、日本の成績は1分け1敗。最終戦のコロンビア戦に勝ったうえで、コートジボワールがギリシャに引き分け以下の結果にならないとグループリーグ敗退、という厳しい状況に追い込まれた。

 ギリシャ戦後、歌うのを忘れてしまったカナリアのように沈黙した攻撃陣に、大久保は寂しさを感じていた。これだけのメンバーをそろえながら、前回の南アフリカW杯の時よりも戦えていない。

 そしてコロンビア戦の前、大久保は香川真司らにこう問いかけた。

「おまえら、ここまで何しに来たん?」

 香川たちは答えに窮し、沈黙したままだった。

「ブラジルW杯までに、俺がこの代表に入ったのは1回だけ。だから、(南アフリカW杯後の4年間)どんなことをやってきたのかはよくわからない。ただ、南アフリカW杯の守備的な戦いから脱して、攻撃的にやってきたのは聞いていたし、そういうサッカーをW杯でやれるのを楽しみにしていた。

 でも実際は、W杯でチームに入ると『攻撃サッカー』というわりには、プレーからその意識があまり感じられなかった。これまで何をやってきたんだって思ったんですよ」

 大久保は「もったいない」とも思った。これだけのメンバーがそろったのはすごいことで、南アフリカW杯の時よりも明らかに個々の能力は高く、攻撃の出力が高いチームだった。しかも、4年間で積み重ねてきたものがあるはずなのに、それを何も出せていなかったからだ。

「俺はW杯だし、『もっと泥臭く戦わないとダメやろ』って思っていたけど、(他の選手たちは)変に自信を持っていた分、それができなかった。それでも、ギリシャに勝てなかったことで、みんなもようやくそのことに気づいたのか、(最終戦に向けて)目の色が変わってきた」

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