大久保嘉人がザックジャパンに呼ばれたのは「引退を考えていた時だった。『えっ、俺が?』と思った」
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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第26回
まったく異なるW杯を経験した男の葛藤~大久保嘉人(1)
2010年南アフリカW杯ラウンド16。日本とパラグアイの試合は0-0のまま、延長戦に入っても決着がつかず、PK戦へ突入した。
3人目の駒野友一が外した日本に対して、パラグアイは4人全員が決めて5番目の選手がPKスポットに立った。その時、延長後半に交代してベンチに下がっていた大久保嘉人は「(川島)永嗣、止めてくれ」と祈るような気持ちで見ていた。
しかしその願いは通じることなく、5人全員が決めたパラグアイがPK戦を制し、日本はベスト16敗退に終わった。
「残念だったけど、あそこ(ベスト16)が(日本の)限界だったと思う」
当時を振り返って、大久保はそう語る。
「岡田(武史)さんのサッカーは、最初は面白かった。でも、W杯を目前にしてチームは大きく変わり、ほとんど即席みたいなチームで本番を迎えた。
守ってカウンターというサッカーをやって勝ったけど、このサッカーは『今回のW杯で終わり』と、みんなわかっていたし、このサッカーに先があるとは思えなかった。初戦のカメルーン戦に勝って勢いはついたけど、俺たちは与えられた以上のサッカーはできなかった」
南アフリカW杯直前、指揮官の岡田は「このままでは(W杯で)勝てない」とチームに大きなメスを入れた。システムを変更し、レギュラー選手も入れ替え、キャプテンも交代させて、一か八かの賭けに出た。
その賭けはうまくハマって、日本は戦前の予想を覆してグループリーグ突破を果たした。だが、相手に研究され、ボールを持たされると攻撃の手段がなく、決して勝てない相手ではなかったパラグアイにPK戦まで持っていかれた。
「ベスト16以上に行くなら、やっぱり攻撃的なサッカーをしないと無理やなって思いました」
大久保のその言葉は、チームの多くの選手が思っていたことでもあった。
死力を尽くした南アフリカW杯。その後、大久保嘉人は『燃え尽き症候群』に陥った。photo by MEXSPORT/AFLOこの記事に関連する写真を見る
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