U-22日本代表のGK争いは横一線 滑り込んできた藤田和輝は「パリの椅子のひとつはアイツで確定」と冷静
サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー12
藤田和輝(栃木SC→ジェフ千葉/GK)後編
◆藤田和輝・前編>>アルビレックス新潟で「調子に乗って」ポジション喪失から日本代表へ
今秋、アジア大会で銀メダルを獲得したU-22日本代表だったが、その下馬評は決して高いものではなかった。というのも、Jリーグとの日程の兼ね合いもあり、その顔ぶれは大学生を数多く含む、"2軍"とも称されるメンバーだったからだ。
栃木SCの守護神、藤田和輝もまた、そこに名を連ねたひとりである。
しかし、彼らは周囲を見返すべく意地を見せた。中国・杭州で繰り広げた激闘の数々で、間違いなく評価を高めた。
果たしておよそ1カ月後、南米の強豪アルゼンチンを招いて行なわれた親善試合で、先発GKとしてピッチに立っていたのは藤田だった。
現時点でのU-22日本代表のベストメンバーが顔を揃えたアルゼンチン戦。そのスタメンに"アジア大会組"が食い込んだ意味は小さくない。
パリオリンピック出場を目指す藤田にとっては、大きな、大きな一歩である。
(※インタビュー後の12月15日、来季からのジェフユナイテッド市原・千葉への期限付き移籍が発表された)
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藤田和輝(栃木SC→ジェフ千葉)2001年2月19日生まれ photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る── 藤田選手が初めて年代別日本代表に選ばれたのは、2015年のU-15代表候補キャンプでした。
「当時アルビレックス新潟には、本間至恩(現クラブ・ブルージュ)、岡本將成(現・鹿児島ユナイテッドFC)、それに今プロにはなっていませんが、五十嵐新(現・新潟医療福祉大)、若月輝(現・慶応義塾大)と、U-15代表に入ったことのあるヤツが4人いたんです。それがうらやましいし、悔しいし、自分もどうにかして代表に入ってやろうと思って、ナイキプレミアカップ(中学生年代の全国大会)でがんばりました。
でも、そこで評価してもらって(候補キャンプに)呼ばれましたけど、全然ダメでしたね。その後は、まったく呼ばれることなく終わりました」
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著者プロフィール
浅田真樹 (あさだ・まさき)
フリーライター。1967年生まれ、新潟県出身。サッカーのW杯取材は1994年アメリカ大会以来、2022年カタール大会で8回目。夏季五輪取材は1996年アトランタ大会以来、2020年東京大会で7回目。その他、育成年代の大会でも、U-20W杯は9大会、U-17W杯は8大会を取材している。現在、webスポルティーバをはじめとするウェブサイトの他、スポーツ総合誌、サッカー専門誌などに寄稿している。