トルシエがデシャンを評価していなかった理由。「彼のコーチングは戦略的ではない。従来どおり3人の選手交代を行なうだけ」 (4ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by JMPA

 選手の序列は決まっている。『キミは2番手だ』と。誰かが欠けた場合にのみ、2番手にお呼びがかかる。1番手としては認められていないから、プレーをする2番手には大きなプレッシャーがかかる」

 スタメンが問題なくプレーし続けられる限りは効率的だが、大会が進むにつれて、疲労が蓄積した時や延長戦に入った時に勝利に導くのは容易ではない。それが、デシャンのシステムだった。

「昨日のモロッコ戦もそうだが、デンマーク戦やイングランド戦も、フランスは20分間はすばらしいプレーをしたが、残りの70分は簡単ではなかった。ところが、エムバペが違いを作り出した。彼がチームの欠点を包み隠した」

 デシャンのコーチングも、フランスの戦略も、メカニカル(機能的)ではない。チームのエネルギーも、モロッコと同じではないとトルシエは語る。

「デシャンが送るエネルギーは極めて人間的で、しかもそれは特定の選手だけに限られている。すべての選手に、彼は与えてはいない。一方、(モロッコ代表監督の)ワリド・レグラギは違う。彼の人間的なエネルギーは、すべての選手に向けられている。

 デシャンは、人間としてのエムバペや人間としてのジルーにエネルギーを送る。レグラギも人間としてのハキム・ツィエクにエネルギーを送るが、ツィエクが選手として出来が悪ければ躊躇わずに交代する。デシャンはグリーズマンやエムバペの出来が悪くともピッチに残す。そこに大きな違いがある。

 デシャンのメソッドもひとつのやり方だが、危ういと言わざるを得ない。だが、フランスは、デンマーク戦では運に恵まれた。チュニジア戦は運なく敗れたが、イングランド戦も、昨日のモロッコ戦も、運に恵まれた。私の言う"運"とは、もし失点を喫していたら、チームが疑念に苛まれていたであろう、ということだ。その潜在的な危機をエムバペが救った」

(文中敬称略/つづく)

フィリップ・トルシエ
1955年3月21日生まれ。フランス出身。28歳で指導者に転身。フランス下部リーグのクラブなどで監督を務めたあと、アフリカ各国の代表チームで手腕を発揮。1998年フランスW杯では南アフリカ代表の監督を務める。その後、日本代表監督に就任。年代別代表チームも指揮して、U-20代表では1999年ワールドユース準優勝へ、U-23代表では2000年シドニー五輪ベスト8へと導く。その後、2002年日韓W杯では日本にW杯初勝利、初の決勝トーナメント進出という快挙をもたらした。

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