「フェイエノールトを選んでいたら違っていただろうな」ハーフナー・マイクがフィンランド行きを決断した裏事情 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 その間には、中国の上海申花から莫大な報酬のオファーもありました。当時まだ20代後半だったので断ったんですが、今考えると、お金だけを考えればもったいないことをしたなって(笑)。

 でも当時は、中国でプレーすることは考えられなかった。フィンランドでコンディションを戻して、もう一度やり直したいと考えました。

 実際、その夏にADOデン・ハーグからオファーをもらい、オランダに戻ってゴールも量産できて、それが日本代表復帰につながったので、悪い流れではなかったと思っています。少し長くなりましたが、オランダでの復活劇にはそんな背景がありました(笑)」

── そんな舞台裏があったとは思いませんでした。貴重なお話、ありがとうございます。その後、デンハーグで2シーズンプレーして、2017年夏にヴィッセル神戸に加入しました。ちょうどルーカス・ポドルスキと同じ時期の加入で話題になりましたが、思うような活躍ができなかった印象があります。その時は何が原因だったのでしょう?

「もっとやれると思っていたんですけど、僕を呼んでくれたネルシーニョ監督がすぐに退任してしまったことが、ひとつの分岐点だったかもしれません。ただ、それを言い訳にしたくないですし、チームのサッカーに合わせられない自分の問題だと思っています」

── 長くヨーロッパでプレーしていると、日本のサッカーとの違いに戸惑うことはあると思いますし、特にFWはフィットするまでに時間はかかりますよね。

「いや、それも含めて自分の問題だと思います。難しかったのは、当時からヴィッセルは選手にGPSをつけて試合中のデータをとるようになっていたんですが、あれは自分にとってマイナスになるかもしれないと感じました。

 なぜなら、僕は真ん中に構えてゴール前で仕事をするスタイルでゴールを決めてきた選手なので、試合中の走行距離やスプリント数はそれほど伸びません。しかも、特別に足が速いわけではないので、自分がスプリントしたと思っても、それがデータとしてカウントされませんしね。

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