「フェイエノールトを選んでいたら違っていただろうな」ハーフナー・マイクがフィンランド行きを決断した裏事情
ハーフナー・マイク引退「17年間のプロ生活」を語る(後編)
◆前編はこちら>>「自分のポテンシャルをフルに出しきれなかった」
◆中編はこちら>>『ハーフナー・マイクが練習を無断欠席』の真相。
2014年ブラジルW杯出場は叶わなかったハーフナー・マイクだが、その年の夏には望んでいたラ・リーガに活躍の場を移すこととなった。ところが、新天地コルドバでは想定外の事態に陥ってしまう。
スペイン移籍の顛末、中国からの高額オファー、オランダでの復活劇、そして帰国後の心境など、これまで明らかにされていなかった真実を、本人が明かしてくれた。
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ハーフナーがヘルシンキに移籍したのは2015年3月この記事に関連する写真を見る── コルドバで突然、出場機会を失ったのは、監督交代など競技面の理由ではなく、実はビザの問題という裏事情があったとは......。せめて引退後の今、ファンや関係者には伝えておきたいですね。ハーフナー・マイクは練習を無断欠席をするような人間ではない、と。
「ありがとうございます。でも、僕としては、それだけがスペインで活躍できなかった理由ではないというふうに受け止めています。
あの頃は自信もあったので、謙虚さが足りなかった部分もあったと思います。スペイン語ができなくてもノリと英語で十分にカバーできると思って通訳もつけませんでしたが、やはり言葉の壁は意外と大きくて、最初だけは通訳をお願いしたほうがよかったと、あとで思いました。
そういったいろいろなことを考えると、やっぱりあの時、フェイエノールトを選んでいたら違っていただろうなって思ってしまう自分がいましたね。ヨーロッパリーグでプレーする機会もあったでしょうし、その後の移籍先も違っていたと思いますし。
ただ、あの頃はスペインでプレーしたいという気持ちも強かったんです。そこは、自分の頑固なところが出たのかなって」
── 移籍は紙一重ですし、そういうこだわりもプロとしては当然だと思います。
「しかも運が悪いことに、コルドバで出場機会を失っていた時期に再びフェイエノールトからオファーをもらっていたんですけど、そのトラブルのおかげで移籍できなくて......。結局、冬の移籍マーケットがまだ閉じていなかったフィンランド(ヘルシンキ)で半年間プレーしたというわけです。
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