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黄金世代はトルシエにとって、まさに黄金だった。「彼らをベースに五輪代表、A代表を作り上げていく」

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by AFLO

フィリップ・トルシエの哲学
連載 第2回
日本代表チームの構築について語る(3)

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1999年ワールドユースで準優勝という快挙を遂げた黄金世代はトルシエ監督にとって、まさに「黄金」だった1999年ワールドユースで準優勝という快挙を遂げた黄金世代はトルシエ監督にとって、まさに「黄金」だったこの記事に関連する写真を見る フィリップ・トルシエと日本サッカー協会の契約は、1998年9月からの2年間であり、2002年W杯に向けての4年間の「最初の2年を担当する」と、当初トルシエ自身がそう語っていた。

 そして、「その後も、自分がそのまま担当するかもしれないし、アーセン・ベンゲルが引き継ぐかもしれない」と。

 また、「W杯までの4年間を自分が担当し、大会直前にベンゲルにバトンを手渡すのも可能である」とも。

 協会からトルシエが任されたのは、2002年W杯を目指すA代表と2000年シドニー五輪を目指す五輪代表のふたつであった。さらには、アジアユース選手権(1998年10月/タイ・チェンマイ)のあと、1999年ワールドユース選手権(現U-20W杯)を目指すユース代表の指揮も、契約外ながら加わった。

 トルシエは「最初はあまり深く考えなかった」と言う。それでも、ふたつの代表を任されたことで感じたのは、協会の彼に寄せる信頼であった。

「(協会からの信頼を感じたのは)内容的にはとても満足のいく契約で、協会が私に日本サッカーの命運を託していることがわかったからだ。

 ふたつの代表に加え、のちにユース代表も加わったのは、大会がナイジェリアで開催されるからであり、アフリカの経験が豊富な私に、ユース代表も委ねたかったのだろう」

 協会もそれ以上のことは、さほど期待してはいなかっただろうと思う。五輪代表を率いるトルシエがユース代表でも指揮を執ったほうが、シドニー五輪に向けて効率的にチームを作ることができる、という程度にしか。

 またトルシエ自身も、若い世代にそれほど多大な期待をしていたわけではなかった。確かに彼は、U-21アルゼンチン代表を破ったU-21日本代表に、A代表を上回るポテンシャルと可能性を感じた。

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