黄金世代はトルシエにとって、まさに黄金だった。「彼らをベースに五輪代表、A代表を作り上げていく」 (2ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by AFLO

 だが、ユース代表が五輪世代のさらに上をいく才能の宝庫であったことは、彼の想像を超えていた。『黄金世代』は、トルシエにとってまさに"黄金"であった。

「彼らをベースにして、ユースから五輪、A代表へとチームを作り上げていく」

 チェンマイで戦う小野伸二をはじめ、稲本潤一や高原直泰、本山雅志らの能力を目の当たりにした時から、2002年へと続くトルシエの4年間と、その後の日本サッカー成長の道程が定まったのだった。トルシエが振り返る。

「真っさらなページからスタートして、3つの異なるカテゴリーを同時に受け持つことになった。それぞれのカテゴリーに目標があり、そのためのプランを遂行するにあたってとりかかったのが、スタッフを固めることだった。

 3つのカテゴリーを統括できるテクニカルスタッフのグループを作り上げること。それが、キーポイントだった。U-20代表を統括したあとに、五輪代表やA代表もマネジメントするスタッフたちだ。

 彼らが同じ言葉を話すことがとても重要だった。同じメソッドを共有し、同じ組織で、同じコミュニケーションをとることが。

 U-20代表とA代表のマネジメントに違いはない。宿泊するホテルやエクイップメント、医療体制などの扱いについても何ら違いはない。すべてが同じだ。U-20代表とA代表とで差をつける気はまったくなかった」

 そうしたことを踏まえて、FIFAやAFCのカレンダーを尊重し、カレンダーに従って親善試合を組み、大会に臨んだ。

 一方で、チームを構築していく実践の過程では、トルシエはいかなる妥協もしなかった。選手やスタッフに対しても、また協会やJリーグ、メディアに対しても。

「(代表でのアプローチは)クラブでのアプローチとはまったく異なっているという認識が私にはあった。クラブはそれぞれのやり方で、トレーニングをして試合に臨む。代表では代表のやり方で、選手はひとつになってプレーしなければならない。

 そこに大きな違いがあるから、クラブでのトレーニングが代表でのチーム構築にも役立つものにならねばならないと考えた。(選手たちは)それを仕事のベースにしなければならない。ベースとなることはクラブで行ない、彼らが代表に招集された時に、私が彼らをひとつにまとめてプレーさせる。つまり、私が専念するのは、技術的・戦術的な部分だ。

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