「中村俊輔と小野伸二を一緒にプレーさせた。私のベストゲームのひとつ」。トルシエは日本での始動となる2試合で能力を証明した

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by REUTERS/AFLO

フィリップ・トルシエの哲学
連載 第2回
日本代表チームの構築について語る(2)

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トルシエ監督は日本代表でどんなチームを築き上げようとしていたのかトルシエ監督は日本代表でどんなチームを築き上げようとしていたのかこの記事に関連する写真を見る フィリップ・トルシエのチーム構築の特徴は、ラボラトリー(実験室)を設定し、そこで彼の理論とシステムを選手に徹底的に覚えさせ、自然に体が動くまでに鍛え上げることだった。

 トルシエ自身は、日本代表選手のほとんどがヨーロッパでプレーする今でも同じことができるというが、中田英寿以外はヨーロッパのクラブに所属する選手はおらず、代表のほぼ全員がJリーグでプレーしていたからこそ、実現できたことでもあった。

 お気に入りのJヴィレッジ(福島県)で年に幾度か合宿を行ない、フラット3をベースにした組織的な動きを、選手たちの体が無意識に動くようになるまで徹底的に叩き込んだ。トルシエが当時を振り返る。

「私のシステム――3人のDFと5人のMF、2人のFWを配する3-5-2システム――では、誰もが有効に機能することができた。選手が代わってもやることは変わらないし、プレーのクオリティも変わらない。

 目標が4年後に控えたW杯に向けてのチーム構築である以上、本大会に臨む23人を絞り込むための、より大きな日本代表のグループを築き上げることが必須だった。そのために、本物のラボを作り、そこで仕事をする必要があった。

 ラボではもっぱら選手の教育に力を注ぎ、クラブとはまったくスタイルが異なるサッカーを実践した。代表チームは単にプレーするだけではなく、プロトコル(実践手順)を学ぶためのラボでもあった。

 そこには、私のシステムを実践するための方法論とプログラムがあり、練習のプロトコルと実践のためのプロトコルがあった。それを『ラボラトリー』と名づけたのは、そこが選手を教育する場所だったからであり、私のシステムでプレーできるようにするための教育の場だったからだ」

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