中村憲剛&佐藤寿人が語る、オシムとザッケローニ。「人生で初めて監督に直談判しに行こうと思った」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

中村 誤解を恐れずに言うと、特別感はあまりなかったです。別に全チームが一堂に会しているわけではないし、会場が散っているので、盛り上がり自体はあまり感じませんでした。

 僕ら日本代表の場合は、ベースキャンプ地のジョージに拠点を置いてトレーニングをしながら、前々日になったら試合開催地に移動。前日に試合会場で公式練習をして、当日試合をして試合後はすぐにチャーター機でジョージに帰る、という流れの繰り返しだったので。

 当然、他国との交流もないですし、自分が想像していたワールドカップの雰囲気を感じることはスタジアム以外ではほとんどなかったかなと。ブブゼラはかなりうるさかったけど(笑)。

佐藤 国が国ですからね。

中村 治安がよくないと言われていたので、そうとうプロテクトされていましたね。当時はネット環境もあまりよくなくて、SNSも主流ではなかったので、情報もあまり入ってこなかったんですよ。だから、日本がとんでもなく盛り上がっているということも、僕は知らなかったという(笑)。

---- あの時は下馬評が低かったなかでの快進撃でしたから、日本ではかなり盛り上がっていましたよ。

中村 大会前の国内最後の壮行試合で韓国に0−2で負けて、いろいろありましたからね。だから、出国の時も空港にほとんど人がいなかったんですよ。深夜の便ということもあったとは思いますけど、まったく期待されていないんだなぁと。あれは寂しかった(笑)。

佐藤 2月の東アジア選手権でも韓国に負けていましたからね。そこには僕もいましたけど、あの時からちょっと雰囲気はよくなかった。

中村 向こうに着いてからも、テストマッチでイングランドとコートジボワールに連敗した時は、さすがにやばいなと。そこから大会前に選手だけでミーティングをして「腹括ってやろう」ってなって。

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