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中村憲剛&佐藤寿人が語る、オシムとザッケローニ。「人生で初めて監督に直談判しに行こうと思った」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

 何のために代表に呼ばれたのかわからなくて、人生で初めて監督に直談判しに行こうと思ったこともあったくらい。結局我慢したけど、いくらいいパフォーマンスをしても監督にそれじゃ本番では使えないと思われたならば使われないのだから、自分の力だけでは覆すことはできないと思った一方で、本当に力があれば誰が監督でも使われると思うので、自分の力が足りなかっただけとも思いました。

佐藤 僕もザックの時は思いましたよ。得点王を獲っても、MVPを獲っても呼ばれなかったですから。一度だけ優勝争いをしている時に急遽呼ばれたんですけど、使われず、結局フランスまで移動(2012年10月の欧州遠征)だけさせられたという(笑)。

---- 先ほど「4年は長い」と言っていましたが、4年間、トップパフォーマンスを維持し、代表に居続けることはやはり難しいものでしょうか。

佐藤 個人もそうですし、クラブの状況もありますよね。フロンターレはそんなに浮き沈みはなかったと思いますけど、広島は2007年に降格して、2008年はJ2でしたから。J2から代表に選ばれることは今も昔もあまりなかったですし、J2の場合は代表活動中にも試合があるので、呼びづらいということもあると思います。岡田さんの時に何度かJ2から行きましたけど、やっぱり難しい部分はありましたよ。

中村 僕の場合はフロンターレが強くなっていったタイミングだったので、代表に行って、刺激を受けて、それをクラブに持ち帰り成長して、また代表に行く。代表にいた7年間は、個人とチームの成長がリンクしていた時期ではありましたね。

 やっぱり、代表は刺激的な場所ですよ。日本のトップが集まって、10日くらいの活動のなかでいろんな話もする。あの場所に居続けるのは大変だけど、得られるものもたくさんありました。今でもあそこはいい場所だったなって思いますよ。

---- 憲剛さんは南アフリカ大会のメンバーに入りましたが、ワールドカップの雰囲気はやはり特別でしたか?

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