トルシエが振り返る日韓W杯。2001年11月のイタリア戦で「W杯を戦うチームは出来上がっていた」 (2ページ目)
豪雨により、ピッチがスリッピーであったこと。Jリーグは開幕した直後であるのに対し、ヨーロッパはリーグが佳境を迎える時期で、選手のコンディションに大きな差があったこと。前年のハッサン2世杯でまさかのドロー(2-2。PK戦によりフランスが決勝へ)に持ち込まれた日本を相手に、フランスには「ホームゲームでは絶対に勝たねばならない」というモチベーションの高さがあったこと......。日本に不利な状況ばかりがそろっていたのは確かだが、アジアチャンピオンは世界チャンピオンに格の違いを見せつけられたのだった。
「バカロレア(フランスの高等学校教育の修了を認証する国家試験。大学入学試験でもある)に失敗した学生の気分だ」
試合後の会見で、トルシエはそう語った。アジアチャンピオンの自信とプライドは木っ端みじんに砕かれた。体制の立て直しは急務だった。
トルシエが見出した解決策は、チームバランスの再考だった。そうして、対アジア用の超攻撃的なスタイルから、世界と戦うための、より攻守のバランスがとれたスタイルへ。「テクニックはさほどではないが、高い守備力を持つ選手たち」(トルシエ)をグループに加えることで、トルシエジャパンは蘇った。
最初の試合となったアウェーのスペイン戦こそ0-1で敗れたものの、W杯のプレ大会として行なわれたFIFAコンフェデレーションズカップでは、グループリーグでカナダとカメルーンを撃破。ブラジルと引き分けて、グループ1位でリーグ戦を突破した。
準決勝のオーストラリア戦も、中田英寿のFKで1-0と勝利。決勝ではフランスに0-1と敗れたとはいえ、準優勝で大会を終えた。日本のA代表が、FIFA主催の世界大会で決勝に駒を進めたのはこれが初めてだった。
その5カ月後、イタリア戦で引き分け。トルシエならずとも、日本代表の進化を実感せずにはいられなかった。
当時を振り返ってトルシエは言う。
「(あの時)チームが整った。攻守にバランスのとれたチームが出来上がった。しかも、相手はイタリアで、親善試合とはいえ、7カ月後にW杯を控えたテストマッチでもあった。
その前のコンフェデ杯もすばらしい大会だった。日本は決勝まで進み、フランスとは惜敗だった。
イタリア戦で感じたのは、確かな自信だった。チームとして戦い、チャンスも多く作り出した。イタリア相手によく守り、観衆もすばらしい雰囲気で我々をあと押しした。W杯をすばらしいものにする、すべての要素がそろったと感じた。大会7カ月前にして、W杯を戦うチームが整った、と。それは明らかだった」
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