トルシエが振り返る日韓W杯。2001年11月のイタリア戦で「W杯を戦うチームは出来上がっていた」 (4ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by REUTERS/AFLO

 この年の暮れにトルシエと話す機会があった。「今後もグループを見直すことがあるのでしょうか?」という私の問いに対する彼の答えは「ノン」だった。当時を振り返って、再びトルシエが語る。

「すでに3年仕事をして、およそ100人の選手を見てきた。U-20やU-23も含めて、大がかりなラボラトリー(実験室、研究所)を築いて選手を鍛えあげた。選手はそこで、たったひとりのスタッフから教育を受けた。U-20も、U-23も同じ方法論で育てられた。

 イタリア戦はそうした3年間のラボの成果であり、プロセスの成果だった。それが私のメソッドだった」

 チームがいつ完成するかについては、特にプランがあったわけではないと彼は告白する。

「どちらかといえば、私はチームを構築するタイプの監督だ。選手を教育してチームを構築する。それが私の特徴であり、(自分は)チームを操作するタイプではない。

 だから、チームが完成した際には異なるメッセージが必要だ。より心理的、人間的なメッセージ、選手に寄り添ったメッセージだ。

 素材を用いてチームを構築する。車でいえば、エンジンを製造する。チームがひとたび完成すれば、異なるメッセージが求められる。それは、より精神的なものだ」

 4年かけて作り出した若いチームを、彼はW杯のあとに「自らの手から解き放った」と言う。

「それは才能に溢れた、ポリバレントな選手たちのチームだ。25人から30人のチームであり、同じ哲学とメカニズムで貫かれていたが、異なる選手により構成されていた。それこそが、私が構築したものだ。

 U-20(1999年ワールドユース準優勝)は3カ月で構築し、U-23(2000年シドニー五輪ベスト8)は6カ月で構築した。どちらも直ちに結果を得た。

 1998年、U-21代表のアルゼンチン戦(1998年11月23日/東京・国立。中村俊輔のゴールで日本が1-0の勝利)でさえそう。私のメソッドはアグレッシブだが、10日もトレーニングを積めば形にすることができる。そのアルゼンチン戦は、私のメソッドが紛れもなく実現した試合だった。規律に溢れた組織的なチームで、選手は自分の役割や責任を理解していた。

 もちろん10日でできることは限られているが、どうすればいいのかはわかっている。それは、選手に道具(手段)を与えることだ。すべての問題に対処できる道具を。3年の仕事のあとには(選手たちの)"道具箱"がとても豊かになった」

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