トルシエが振り返る日韓W杯。2001年11月のイタリア戦で「W杯を戦うチームは出来上がっていた」 (5ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by REUTERS/AFLO

 選手に解決策を与えるのが「自身のメソッドである」と彼は言う。それを成し遂げたという思いがあったから、W杯本番を迎えた時には冷静で落ち着いていた。

「チームはバランスがとれ、力強かった。私はイタリア戦でその確信を得た。選手たちがあらゆる問題を解決する道具を得たことを確信した。しかも、グループは大きくなり、大岩や波戸、中村もそのなかにいた。福西や服部、宮本、森岡、中田浩もいた。彼らは問題を解決できる選手たちだった」

 イタリア戦の前半で中田英を起用しなかったのは、彼抜きの日本がイタリアに対してどれだけできるかを見たかったからだった。

「選手たちが、中田英抜きでもイタリアと戦えるところを見たかった。彼らは私の期待に応えた。中田英がいなくとも、イタリアに引けをとらなかった。森島や戸田、伊東、稲本、福西といった選手たちを見たかったし、FWでは柳沢だろうと、鈴木や西澤、高原であろうと、誰が出ても同じだった。彼らはポリバレントで、私は少なくとも25人に頼ることができた」

 トルシエの言葉どおり、イタリア戦はW杯の7カ月前にチームは完成したことの証明に他ならなかった。以降、日本代表はいつでもW杯に臨める状態になっていた。

(文中敬称略/つづく)

フィリップ・トルシエ
1955年3月21日生まれ。フランス出身。28歳で指導者に転身。フランス下部リーグのクラブなどで監督を務めたあと、アフリカ各国の代表チームで手腕を発揮。1998年フランスW杯では南アフリカ代表の監督を務める。その後、日本代表監督に就任。年代別代表チームも指揮して、U-20代表では1999年ワールドユース準優勝へ、U-23代表では2000年シドニー五輪ベスト8へと導く。その後、2002年日韓W杯では日本にW杯初勝利、初の決勝トーナメント進出という快挙をもたらした。

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