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トルシエ監督の「奇策」の真相。山本昌邦が日韓W杯トルコ戦で三都主と西澤明訓を抜擢した理由を明かす

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Getty Images

日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来
山本昌邦インタビュー(2)

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 2002年ワールドカップ日韓大会で起きたサプライズ。それは、大会前の日本代表メンバー発表の時だけではなかった。

 自国開催のワールドカップとあって日本中が空前の盛り上がりを見せるなか、日本代表はグループリーグを2勝1分けで1位通過。初めて駒を進めた決勝トーナメントで、もうひとつのサプライズは起きた。

「奇策ですよね」

 山本昌邦がそう振り返るのは、決勝トーナメント1回戦での選手起用である。

 ベスト8進出をかけてトルコと対戦することになった日本は、それまでとは2トップの顔ぶれをガラリと変更。グループリーグでは、柳沢敦と鈴木隆行がすべての試合に先発起用されていたが、この試合で初めて西澤明訓と三都主アレサンドロが抜擢されたのである。

決勝トーナメント1回戦のトルコ戦でトルシエ監督は「奇策」を打ったが...決勝トーナメント1回戦のトルコ戦でトルシエ監督は「奇策」を打ったが...この記事に関連する写真を見る それまでの3試合を振り返っても、三都主は途中交代で1試合に出場したのみ。西澤に至っては、これが初めての出場。誰が見ても、意外な選手起用だった。

「一番(の変更理由)はヤナギ(柳沢)のケガでした。当時は外に出せない情報でしたが、首を痛めてムチ打ちのような症状があったんです。トルコ戦にもベンチには入っていましたが、使うことはできない状態でした」

 その一方で、「大会前に盲腸(急性虫垂炎)になって調整が遅れていた西澤は、コンディションが上がっていた」という。

「状態さえ上がってくれば、西澤はもともと主力で考えていた選手ですから、十分にいけると思いましたし、過密日程のなかでの疲労と新鮮さを考慮しての判断だったと思います」

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