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「ポイチに『もっと早く出せ』と言うておく」カタールW杯でレジェンド2人が期待するのは「三笘薫」 (4ページ目)

  • 小室功●取材・構成 text by Komuro Isao

金田「それにしても、ポイチはええヤツや。和司が立ち上げた『スポーツジャングル10』の10周年記念イベントに来てくれたじゃない? 日本代表監督やで、そういうイベントに招待してもなかなか来れんだろ」

木村「いや、ホンマよ」

金田「日本代表監督やし、何かと忙しいだろうから、ちょっと時間があったら、休みたいはずやけどね。言うたら、ワシらのようなサッカー界の年寄りばかりがいて、メディアも来ていて、いろいろ気を使わんといけんだろうし、疲れると思う。でも、来てくれた。ポイチの人柄のよさが出とるよ。『着替えて、ちょっとゲームでもやらんか?』と誘ったら、本当にやりよったからな。律儀な男やで」

木村「大したもんよ」

金田「1992年に広島でアジアカップがあって、そこで日本が優勝したけれど、ポイチはその時の代表メンバーのひとり。当時はまだ無名だったから『誰?』という感じだった。代表監督の(ハンス・)オフトにとって、ポイチはマツダの監督時代の教え子でもあるけれど、代表チームのボランチに抜擢してな。ラモス(瑠偉)の横で、いいプレーをしとったよ。すごく印象に残っているから。ワシら、日本代表のことをなんだかんだ言うけれど、それはやっぱり結果を出してほしいから。ポイチには期待しているよ」

(つづく)

木村和司氏(左)と金田喜稔氏(右)。photo by Takahashi Manabu木村和司氏(左)と金田喜稔氏(右)。photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る金田喜稔(かねだ・のぶとし)
1958年2月16日生まれ。広島県出身。広島工業高から中央大へ。卒業後、JSL(日本サッカーリーグ)の日産入り。主力選手として活躍し、数々のタイトル獲得に貢献した。日本代表でも屈指のドリブラーとして奮闘。国際Aマッチ58試合出場6得点。1991年に現役を引退。解説者、指導者として奔走する。現日本サッカー協会理事。

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高から明治大へ。卒業後、横浜マリノスの前身となるJSLの日産入り。チームの司令塔として長年活躍した。日本代表でも「10番」を背負って奮闘。国際Aマッチ54試合出場26得点。1994年シーズンを最後に現役引退。その後、フットサル日本代表、横浜F・マリノスの監督を務めた。

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